アラン・ドロンさん(88)が亡くなり、自宅豪邸の門前には鎮魂の献花が多数たむけられています。
写真:首都パリの南約135キロに位置するドゥシー・モンコルボンにあるドロン氏の自宅↓
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いまさらアラン・ドロンの経歴をたどることもないが、、
遺産は400億~1000億円のアラン・ドロン
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出世作『太陽がいっぱい』の主人公さながらの不良少年だったアラン・ドロンが一代で築き上げた遺産は400億円とも1000億円ともいわれています。う~ん、すごい。不詳のような身には1億円でもものすごいのに笑笑、宝くじ、、ふふふ。
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これは自宅邸内です。↓
車椅子を使用しつつも元気な様子
投稿された写真は、仏ロワレ県ドゥーシーにあるアランの自宅でアラン=ファビアンと、異母兄のアントニー・ドロン、アントニーの娘でアランにとっては孫娘となるルーとリヴの4人がアランを囲み食事をともにしているもの。11月8日に88歳の誕生日を迎えたばかりのアランは、水色のセーターを着て、かすかに笑みを見せながらワイングラスを手にしカメラを見つめています。アラン・ドロンの息子で、自身も俳優として活動するアラン=ファビアン・ドロンが現地時間12月24日、父親とクリスマスを過ごす写真をInstagramで公開。アランの息子たちは7月、父親の長年にわたる伴侶であると主張する日本人女性ヒロミ・ロランとの泥沼劇でメディアを賑わせましたが、その際も当のアランは姿を見せることがなく、健康状態が心配されていました。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2312/27/news170.html
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現役当時も恋多き人で数多くのスキャンダルも報じられたが、晩年でも色々噂になりました。BBCニュースが、こうです、。
ドロン氏をめぐる懸念が最初に浮上したのは、子供たちが昨年、同氏の住み込みアシスタント、ヒロミ・ロラン氏を告訴したのがきっかけ。
子供たちは、日本人の映画制作アシスタントのロラン氏が、ドロン氏に対して「モラル・ハラスメント」を行なったと主張している。ロラン氏の弁護士は当時、すべての主張を否定した。
(英語記事 Alain Delon: Police seize 72 guns from French film star’s home) BBCニュース
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ヒロミ・ロランについては週刊新潮7月25日号と8月1日号が二週間連続特集で17年間の事実婚相手として紹介していますが、BBCでは 住み込みアシスタント となっていますね。
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おっとぉ~、我らが日本人、おなじみのデビ夫人、ドロンと浮名を流されました。
デビ夫人が絶賛、黒髪に青い目のアラン・ドロン
ほら、これが証拠写真。
写真:1970年代初め、パリの老舗レストラン「マキシム」でアラン・ドロンさん(右)と会食するデヴィ夫人
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お~、50年前の~、ことですね。拍手。
産経新聞がこう報じました。
フランスの俳優、アラン・ドロンさんが88歳で死去したことを受け、ドロンさんとかつて交友があったタレントのデヴィ夫人(84)は19日、産経新聞の取材に対し「寂しい。もう一度会いたかった」と死を悼んだ。
デヴィ夫人がドロンさんを初めて間近で見たのは、最初の東京五輪があった昭和39(1964)年。ドロンさんがバート・ランカスターと共演した映画「山猫」が日本で公開されたころだった。夫のスカルノ・インドネシア大統領と東京・帝国ホテルに滞在していたとき、プロモーションのため来日していたドロンさんも泊まっていた。
夫妻が出掛けるときも帰るときも、ドロンさんはロビーにおり、スカルノ氏は夫人に「あなたを待っているんじゃないか」とやきもちを焼いたという。
デヴィ夫人はスカルノ氏の失脚、死去後、亡命先のパリの社交界で「東洋の真珠」ともてはやされていた。1970年代初めにドロンさんと一時期親密になったという。「黒髪に青い目。あれほどの美男子はほかにいません。彼には同棲(どうせい)相手がいましたので、私たちはうたかたの恋でした」と振り返る。
今年1月にフランスを訪問したが、多忙で見舞いに行けなかったことを悔やんでいるという。
「最近、彼が晩年に日本人女性と事実婚生活を送っていたと週刊誌が報じました。もしかしたら私の面影を追い求めていたのかもしれないと、勝手に思っていたところでした。ご冥福をお祈りします」と静かに語った。(渡辺浩)
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