小室眞子結婚7日で里帰り。エリザベス女王はヘンリー王子を勘当!

小室眞子さん(30」が結婚7日で、里帰りされました【画像】。ちょっと、驚き。秋篠宮家には公私のけじめはない? 眞子さんは皇室とは絶縁が条件の結婚ではなかったのでしょうか。いやいや、里帰りしようがしまいが個人の自由だ、ほうっておいてあげなさい、と、左リベラルの論客はおっしゃいますが、ちょっと、ヘンではないですか? 夫・圭さん(30)も連れずに一人で秋篠宮家へ。何をしに?

小室眞子里帰り

写真:黄色いバックを手にタクシーに乗って一人で帰宅した小室眞子さん。Photo by スポニチ・・スポニチのスプーク写真ですね。

この写真をみるかぎり、持ち物や髪型などなど、かつての内親王(秋篠宮眞子内親王)のおごそかな存在は感じられません。すでに一国民、私人としての小室眞子さんのお姿です。・・・。すこしおやつれになった感もみえます。

皇室との縁切りは誤った情報という「私」の主張

秋篠宮家での滞在時間が7時間です。もちろん食事もお茶も、お話もえんえん。・・もしかしたら絶縁処分も勘当処分も受けていない、ほれ、このとおり、誤った情報で事実でないことを拡めないで!という「私」の主張をおみせになったのかもしれません。正式な結婚儀式ができなかったのは誤った情報で事実ではない誹謗中傷を受けたから・・・という結婚記者会見の「私」の主張のつづきかもしれません。

しかし秋篠宮家はきわめて重要な公的な存在です。皇室、天皇家にかかわる方々は日本という国家歴史、皇紀2681年の象徴でもあります。

いち私人が易々と出入りしていいものか。

「皇室の将来は日本の将来である」東京大学名誉教授平川祐弘氏

皇室は過去の歴史を伝えるだけのものではありません。皇室の将来は日本の将来である・・と東京大学名誉教授平川祐弘氏(90)が述べておられます。

産経新聞「正論」への平川教授論説からの引用です。(長文です。お急ぎの方は、英王室エリザベス女王の決断の部分をお読みください)

日本の国体の特色は万世一系の天皇家が代々続いてきたことである。その皇統を大切にしたい。皇室の将来はとりもなおさず日本の将来である。

皇室は「智識ヲ世界ニ求メ」る範を垂れ、国際親善につとめてきたが、同時に日本の神道的伝統そのものである。それをゆめ忘れてはならない。

かつて歴史は一国単位で書かれた。各個人が幼年期、青年期、成熟期を経過するように、各国にも共通の発展法則があるかに思われた。しかし、一国の歴史は、内発的な力だけで発展するのではない。比較文化史的に考察すれば、歴史は国と国との間、文明と文明の間の横の空間の軸に沿っても作用して発展する。

欧州諸国のように相互に影響し合う場合もあれば、中心的な大文化と周辺的な文化の間のように一方的に作用する場合もある。

日本は漢文化の影響を受けつつも自己を維持した。「和魂漢才」と呼ばれた時期である。その千年後には今度は西洋文化の影響を受けつつも自己を維持した。「和魂洋才」と呼ばれる時期である。

いずれの場合も日本の国全体が中国化したわけでもなく、また西洋の一国となったわけでもない。その際、わが国のお国柄の中心をなす「和」の文化を体現するのが天皇家であった。

福沢諭吉は「脱亜入欧」を唱え、ために戦後非難された。日本人のアジア蔑視は福沢に始まる、というのである。しかし、今の日本が中国や朝鮮のような状態でなくてよかった、と私は思う。たいていの人もそう思うだろう。

福沢を非難した学者自身も実際は「脱漢入英」していた。かつての日本人の第一外国語である漢文は読まず英書を読んでいるからである。

そんな明治は日本の西洋化の時代だった。日本人の歴史教育の内容、今でいうカリキュラムは一変した。徳富蘆花はその変(かわ)りようを「論孟が立志編品行論になり、史記日本外史が欧州文明史になり」と『思出の記』(三の巻十)に記した。日本人の教養科目だった『論語』『孟子』の代わりにスマイルズ著中村正直訳の『西国立志編』や『西洋品行論』、司馬遷や頼山陽の代わりにギゾーが読まれた、というのである。

蘆花は旧式の漢学塾と新式の洋学塾を二つながら活写したが、徳富兄弟に限らず、漱石もこうした新旧二つの学問を学んだ。しかしその根底にあるのは、江戸っ子の生得に近い好き嫌いで、不潔不正を嫌い、清い心を好む漱石の神道的感覚が、正義漢、坊ちゃんを日本の国民的ヒーローにした。

明治の維新後、中村正直は、日本は全面的に西洋キリスト教文明を受け入れ「洋魂洋才」になるべきだと説き、昭和の敗戦後、大塚久雄も同じ主張をした。しかし、日本の将来が「洋魂洋才」にありとする予言は、一部知識人や宣教師の希望的観測にすぎなかった。

英国王室・エリザベス女王はヘンリー王子とメーガン妃をすぱっと勘当

仏教伝来の聖徳太子の昔から神道は消えることはない。明治は西洋化の時代だが、天皇を記念する、森に囲まれた明治神宮は、今や伊勢神宮と並んで、神道の聖地である。

近代の日本人は工場や軍艦も造ったが、神宮と代々木の森も造営した。神道は大正・昭和の日本においてもすがすがしく再生した。そのことが尊い。神宮の内苑に神道は生きている。

近ごろ宮家がごたついている。明治以来日本が模範とした国は英国で、皇室も英王室を範とした。その英国も王室がスキャンダルにまみれて、とても範にならぬかに見えた。が、どうしてエリザベス女王はご立派である。かつて妹、マーガレット王女が道ならぬ恋をした際も、結婚を認めなかった。

今度もヘンリー王子とメーガン妃をすぱっと勘当した。王室の長として断固たる処置だ。わが皇室も品位にふさわしからぬ振舞(ふるまい)に対しては女王に見習うべきだ。

今回のような重大案件は、宮内庁の役人の判断で発表すべきことではない。要は、一旦皇室外の人と身分が変われば、それから先はいかなることが起ころうと、一般市民の一人に対する以上の世話を日本国家はしなくてよい、というか、してはならない。

平たく言えば、勘当の処置を明確にすべきだろう。海外で勝手な記事が出てはたまらない。今となって皇室にできる、先を見据えての対策は、結婚の条件として米国式のいわゆる秘密保持契約をすることだろう。

マスコミの感傷的な報道の正体は何か。天皇制支持か、それともその土台を崩すための策略か。君主制を美しくするか否かは国民と皇室の心構えによる。

天皇家は神武以来の文化的伝統の体現者として、国民のうちにひそむ神道的感情によって支えられてきた。

その歴史の重みを尊ぶべきである。日本人は、万世一系の君主に民族の永生を信じ、天皇家の安泰を願っているのである。(ひらかわ すけひろ)

天皇家の安泰を願っている・・いや、願っていない、皇室という特殊な存在は時代にそぐわない・・という論説が雑誌の巻頭に掲載「天皇制が女性皇族の人権侵害につながっている」(AERA・2021年11月8日号)されたりもしています。左リベラルの先端的な論であり国民の世論ではないとおもいます・・・。

しかし、小室眞子さんのような振る舞いと「私」の主張は、あきらかにアンチ皇室のムードを焚きつける役割を果たしています。秋篠宮殿下のご家族のみなさまはそれに気づいてはおられないのでしょうか。悠仁親王(15)が姉上とおなじように公よりも「私」を主張なさるようなことは、ありえない、とおもうのは、時代にそぐわない? いや、まさか。

まとめ

小室眞子さんの一人里帰り・・伝統的な保守そのものの皇室育ちにしては不思議な行動だとおもいます。

里帰りとは・・・

里帰りは、妻が結婚後 初めて実家に帰ることである。当然実家に帰ったのちは、婚家に戻る。 伝統的風習の一形式としては、結婚ののち3日目、また5日目に夫が妻を妻の実家まで送り、夫は婚家に帰り、妻は自分の実家に宿泊し、翌日、妻の母が妻を夫のいる婚家に送り届けるいうふうであった。 (Wikipedia)

余人にはうかがえしれない事情があるのかもしれませんが、秋篠宮殿下紀子妃が許諾された理由が不明です。事情をご存知な方、明らかにしてほしい、と、おもいます。

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