鬼平犯科帳の池波正太郎「霜夜」は泣けます。鬼平犯科帳のなかでは唯一泣ける短編なのです。
同シリーズは鬼平、長谷川平蔵の悪人への徹底非常の裁きが痛快ですが、「霜夜」(しもよ)はちがいます。涙がふきぼれるのです。声をあげて泣きたくなります。
声をあげて泣きたくなる池波正太郎短編傑作「霜夜」
写真:火付盗賊改方お頭、長谷川平蔵を演じる中村吉右衛門
霜夜とは、霜が降りる寒い夜です。
注意:以下、ネタバレ有り。
霜が降りるのは冬本番直前です。その厳しい寒い夜にかつての大親友が・・殺されます。平蔵は、むかし、この親友に家禄を継がせ、”母”を暗殺しようとしていた。誰にも秘密のこの暗殺計画を剣術家の親友「池田又四郎」の冴えた感がーー。
池田又四郎にも母暗殺計画は伏せていたのに、この親友が、「それは、なりません
」と強くいさめた。そして不意に江戸から姿を消した。
爾来、20数年、
おとさともなかった「池田又四郎」の声をたまたま耳にした平蔵が、、こっそり後をつけます。その声になにやら不穏な響きを感じたのです。池田又四郎の声に・・・
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あたりをはばかる者のみがもつ陰鬱さに曇っていた。
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「霜夜」の冒頭二行が人生の浮き沈み・・を・・・
池波正太郎「霜夜」の書き出し ↓ です。
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2合の酒で、いつになく長谷川平蔵は、微酔いになった。
日暮れには、まだ、間がある。
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すごいですね。微酔い(ほろよい)になった。。日暮れには、まだ、間がある。。この句読点の打ち方に、読む方も息を呑みます。いったい、なにが、あったのか?
じつは、池田又四郎は盗賊グループに属して生きていたのです。平蔵は彼を尾行中に又四郎が闇を裂く疾走で二人の男を斬殺したのを目撃した。
その池田又四郎が突然、火付盗賊改方の本拠、長谷川平蔵を訪ねてきます。平蔵は不在です。池田又四郎は、
筆と紙をかり、・・明日、砂村の元八幡宮に御一人で来て欲しい、生涯のお願いです・・と書き置きします。
元八幡宮に現れた池田又四郎は、血の気の失せた、火鉢の底ような顔色であったが、陰りのない微笑を浮かべた。
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又四郎の躰から、妙な匂いがしている。
血の匂いであった。
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平蔵は又四郎を抱きかかえ、元八幡の鳥居を潜り、枯れ草の上へ横たえてやった。
「やられました・・・」
「何者に?」
「鼠賊どもに・・・」
「何、賊だと?」
「私も、奴ども合わせて八人は斬って捨てましたろうか・・・」
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平蔵の右手を、又四郎が両手で握りしめてきた。
「この手を、はなさずにいて下さい」
「うむ・・・」
・・・
二十余年の歳月が二人の間を通り通り過ぎてしまったとは、とてもおもえなかった。二人して高杉道場で稽古にはげんでいたのが、つい昨日のようにさえ感じられる。それほど池田又四郎の風貌は変わっていなかった。
「ともかくも又四、こうしてはいられぬぞ。さ、早く、わしの背に・・・」
「いや、間に合いませぬ。息絶える前に、申し上げておかねばならぬことがあります」
半身を起こし、平蔵の胸へ頭をもたせかけた池田又四郎の頬に一筋光るものがつたわった。
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語り終えた池田又四郎は絶命します。
・・・
出迎えた久栄(妻)が、
「まあ、血が、お着物に・・・」「あの、お怪我を?」
「わしは大事ない。そのかわり、むかしの剣術仲間の亡骸を連れてきた。いつぞや、お前にもはなしたことがある池田又四郎じゃ」
「えっ・・・」
「久栄、まことにもって、哀れな・・・」
たまりかねたかのごとくいいさした長谷川平蔵の両目に、めずらしく熱いものがふきこぼれてくるのを、久栄は呆気にとられて見まもったのである。
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まとめ
↑ めずらしく熱いものがふきこぼれてくる・・・
このシーンに泣けない人は鬼平犯科帳・池波正太郎の読者ではありません。
つまり、
池波正太郎短編『霜夜』を読むと、声をあげて泣きたくなるのは、長谷川平蔵とリアルにつながっているからにほかなりません。