あぁ足が、脚が、一ミリも動かない!リハビリ先生の引き攣り笑顔が、怖い 笑・・・
緊急手術がおわり病室に運ばれたのですが、このあたりの記憶はありません。おもいだそうとしてもおもいだせない。とにかく痛い、お腹が痛いと訴えていたような・・・気がします。
記憶があるのは翌日からです。ベッドで横たわったままのぼくにリハビリ担当の理学療法士の先生が「はい、右足を上へ持ち上げて、動かしてみてください」と右足先を指さしました。が、
が、ぼくの右足は動かない・・・。
「じゃ、左足を上げて・・」・・動かない・・ショックでした。ぼくの体はそういう体になった? ・・「あせらないでください」先生はそうおっしゃるのですが・・やがて動く、と・・・。
そうか、もう山へは行けない・・・山はムリですか?・・「え? 山?」・・はい、登山です・・リハビリ先生はぼくの問いには答えずに、笑顔を浮かべられました。・・とんでもない・・というあきれ顔の笑顔だったようにおもいます。直腹筋縦割り開腹手術だったので腹筋がまったく効かなくなっていたのです。しかし、療法士の先生、巡回の看護師さん、などなどの反応は、おだやかでした。命助かったことへの安堵だったようにおもいます。それほど危険だったのでしょうか。
たしかに命助かった。
でも、この動かない体では・・・。痛い、とにかく痛い。
しかし、不思議ですね、時間の経過に合わせて命、肉体が少しづつ動き出します。
痛い、痛いとうめきもがき苦しみながら、体が動くようになります。
右足、左足が上がるようになります。
起きあがれるようになります。
すり足で歩けるようになります。
点滴棒をひきずりながら、自力で動けるようになります。
美味しかった天丼・すき焼き・お寿司!
右手も左手も鼻も口も点滴棒と連結しています。鼻と口は酸素補給です。完全絶食、完全断水です。命は点滴棒連結のチューブ類で維持されているのです。
しかし不思議ですね、痛みが少しずつやわらいでゆきます。ベッドからの「痛いから助けて!」の緊急呼び鈴ボタンを押す回数も減少してゆきます。そんなに、しょっちゅう、看護師さんを呼んでいた? はい、ぼくは痛みに弱いタイプなのです。20年近く前に余命一年と言われ東邦大学病院に入院したときは先生方に 痛い痛いの○○さん と呼ばれていました。
痛みのせいか、どうも日時や出来事の記憶がおぼろです。先天的に記憶力欠如のせいもあるかもしれませんが。たまたま持っていた黒い小型メモノートには、下手なばっちい字で、こう書いています。
・月曜 緊急手術
・火曜 うめき苦しみ痛い
・水曜 やや痛み和らぎ、PM 歩行練習
・木曜 午前 歩行練習 ガス出よ!!
こう見ると、けっこう回復スピードも上がっている。「ガス出よ!!」は おなら です。腸が再活動をはじめるとガス(おなら)が出る。ですから一日に何度も何度も、巡回の医師団にも、食事前後に看護師さんにも、・・出た?・・と聞かれます。
月曜日に手術し、火、水、木・・4日間の絶食断水・・水の一滴もダメなのです。
夢をみたんです・・カツ丼とかすき焼きとか、お寿司などを食べている・・がんがん頬ばっていました。
スピリチュアル系の人の断食体験では、崇拝中の神仏系のお顔を見ることがあるそうです。意識がハイレベルなのでしょうね。ぼくの場合は現実的というか欲望をみたのであった。いえ、そういう生き方もあるんだよ、個性だ、ふん、と思って気づきました。これって生きようとしているのではないか。神仏様が、そういう夢を見させて下すったんだ!!
早朝、7時半頃、回診の外科先生に夢を伝えたのですが、話には乗ってくれません。