マンガ家、サトウサンペイさん(91)・・・なんだか、ふんわり懐かしい故郷(ふるさと)のような方だとつくづく感じます。死因は肺炎です。コロナ肺炎ではありませんよ、誤嚥性肺炎です。ご年齢からすると、天寿まっとうされたと、そう言ってもいいのかもしれません。
サトウサンペイさんといえば朝日新聞連載「フジ三太郎(朝日新聞朝刊 1965年 – 1991年)」です。不詳この私(筆者tomo)、成人するまでは朝日新聞を読んでいましたので、毎日毎日「フジ三太郎」を見て大人になりました。現在は朝日新聞・・きらい、ハハハッ。
朝日新聞にも産経新聞にも連載したサトウサンペイ
ですのでサトウサンペイさん没は産経新聞ニュースで知りました。
漫画家のサトウサンペイさん死去 「フジ三太郎」で世相描くhttps://t.co/evIGkco9qZ
産経新聞で「インスタントマダム」を連載し、ほかに「アサカゼ君」「ランチ君」などの作品を手掛けた。
— 産経ニュース (@Sankei_news) August 6, 2021
産経新聞で「インスタントマダム」を連載し、ほかに「アサカゼ君」「ランチ君」などの作品を手掛けた。
サトウサンペイさんが大阪を離れて東京に移られたのは産経新聞連載がきっかけです。ベ平連支持された過去もあり、朝日新聞とくれば、と、でも、けして反日とか左翼とかではございません。そんなこまかなことにこだわる方ではありません。
神様なんて・・という雰囲気をおもちですが、著書『ドタンバの神頼み』にもあるよう神道系宗教、金光教(こんこうきょう)の信徒さんの一人です。
産経新聞記事は、↓
サラリーマン漫画の先駆けとされる「フジ三太郎」などを手掛けた漫画家のサトウサンペイ(さとう・さんぺい、本名・佐藤幸一=さとう・ゆきかず)さんが7月31日、誤嚥性肺炎のため死去した。91歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻、みどりさん。
名古屋市に生まれ、大阪市で育った。京都工業専門学校(現・京都工芸繊維大)を卒業後、大阪の大丸百貨店に入社。宣伝部で働きながら漫画を描き始めた。退社後の昭和36年に上京。産経新聞で「インスタントマダム」を連載し、ほかに「アサカゼ君」「ランチ君」などの作品を手掛けた。
代表作は、昭和40年から平成3年まで26年半にわたり朝日新聞に連載した4コマ漫画「フジ三太郎」。高度成長期からバブルまでの世相を、時代風刺をまじえたユーモアあふれる筆致でサラリーマンら庶民の気持ちを代弁した。
昭和41年、文芸春秋漫画賞。平成9年、紫綬褒章。18年、旭日小綬章。29年、日本漫画家協会賞特別賞。
(産経新聞 2021/8/6)
上述『ドタンバの神頼み』に、サトウサンペイさんが大阪の大丸宣伝部を辞めてマンガ家への転身をはかったきっかけが書いてあります。こうです。
「3つのものがあれば生きていける。勇気と希望とサム・マネー(わずかなお金だ」
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ある日、会社を終わって、梅田新道で珍しく一人でビールを飲んだあと、その頃上映されていたチャプリンの「ライムライト」を見た。
チャプリン扮するところの老喜劇俳優と、一人の若くて美しいバレリーナとの淡い恋物語である。クレア・ブルームという女優さんの扮するバレリーナが、足が動かなくなって傷心の末、アパートの部屋でガス自殺をはかる。それをチャプリンが助け出し、励まし、ついには彼女が一流のプリママドンナになるというお話である。
もう、テレビで何度も放送されたからご存じの方も多いと思う。私は涙がポロポロ流れてしかたなかった。昔は人気があったが、今はどこからもお呼びがのかからない喜劇俳優、なんだか、マンガ家になろうとしている私の未来に重なって。
その映画の中で、クレア・ブルームが、
「人間どうしたら生きていけるの?」
とチャプリンに聞くところがあった。チャプリンは真顔で答えた。
「3つのものがあれば生きていける。勇気と希望とサム・マネー(わずかなお金だ」
私はそれを聞いたとき、
「そうか! そうか! サム・マネーでいいのか! リッチ・マネー(たくさんのお金)でなくても生きていけるのか! それなら会社を辞めても、なんとかやっていけるかもしれないゾ」と、そう思った。
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「3つのものがあれば生きていける。勇気と希望とサム・マネー(わずかなお金だ」に、反応してマンガ家・サトウサンペイさんが生まれたのすが、・・それにしてもこの文章、文章のお手本以上だと思います。よどみなく流れてゆくリズムが素敵です。
ある日、会社を終わって、梅田新道で珍しく一人でビールを飲んだあと、その頃上映されていたチャプリンの「ライムライト」を見た。
この一文でわかるようにサトウサンペイさんの文章には形容詞がほとんどない。大げさなことは書かない。
ネット上にはサトウサンペイさんを偲ぶ声がいっぱいです。
子供の頃、朝日新聞をとっていたので、毎朝読んでいました。
風刺の効いた漫画で、私の批判的な視点で物事を見る素地の一つであったかもしれません。終わったときは本当に残念でした。
ご冥福をお祈りします。
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昭和の終わりから
「もう朝日はとるのやめよう、あまりにひどい」と
家族で話が出るものの
「でもフジ三太郎が面白いからなあ…」と
皆でとどまってしまう強力な魅力がありました
(結局、平成2年くらいまでは朝日をとっていましたが)
美男美女がお好きでファッションに敏感
スマートな美意識を持つ素敵な漫画家さん
文章も好きでした
つつしんで御悔やみを申し上げます
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実家に単行本があった。自分が生まれる前から連載されてて、単行本では漫画の横に、漫画の内容の補足にその頃起こった事件や社会現象が書いてあったので、さながら漫画現代日本史として面白く勉強にもなった。
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「ドタンバのマナー」「食べ物さん、ありがとう」「パソコンの「パ」の字から」など、純粋な漫画作品以外の著書でも、様々な分野に楽しみながら挑戦する柔軟な姿勢が好きでした。こちらも楽しませてもらいましたし、学ばせてもらいました。佇まいも品の良い紳士な方でしたね。ありがとうございました。
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シンプルでしたがユーモアとウィットのある漫画でした。
小学生の頃から見ていました。連載が終わるのを惜しんだ記憶があります。
ご冥福をお祈りいたします。
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「フジ三太郎」は昭和~平成の時代を映した鏡だった。
そういう漫画を描ける人は二度と現れないかもしれない。
ご冥福をお祈りします。
シンプルでしたがユーモアとウィットのあるマンガ作品のような、シンプルでユーモアとウイットのある文章をのこしていただいてありがとうございます。
金がかからず、いつでもやめられる。私はそんな宗教が好き
金光教へは、
「親切ていねい、よく効き、金がかからず、いつでもやめられる。私はそんな宗教が好き」。
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と、述べられています。いつでもやめられる・・・サトウサンペイさんの人生も、そのように閉じられたのかも、しれませんね。
小生ごときが、ご冥福を、お祈り、しなくても? ご冥福されている、と思います。ありがとうございます。あらためて作品を読ませていただきます。