恋愛と熟睡はおなじ、いくら心地よくても、必ず目がさめる・・・秋篠宮眞子内親王(30)の小室圭氏(30)への一途なおもいも冷え冷えと熱度がさがり、目覚めるときがやってきます。精神科医・片田珠美さん(60」の見立てでは、そう遠くない、ようです。そのとき眞子さまは・・? 皇室駆け落ち婚の実例、久邇宮王女の場合を参考に考えてみました。
おいたわしいような・・眞子内親王。現実という壁が・・。
片田珠美医師(精神科医)は週刊誌、週刊新潮の記者に、こう答えています。
我々はある願いが叶ったら、幸せな生活が約束されており、すべての問題が一挙に解決されるのだと考えてしまうことがある。願望を現実と混同してしまうのです。これを、精神医学の用語で「幻想的願望充足」と言います。 眞子さまはまさにこの「幻想的願望充足」にとらわれている。小室さんと結婚しさえすれば、窮屈な皇室から抜け出すことができ、幸せな生活が待っていると幻想を抱いておられる。だからこそ、ご結婚は“生きていくために必要な選択”になったのでしょう。それと同時に、ご結婚に対する否定的な意見は、ご自身の命に関わる問題と受け止められるようになったのです。
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眞子さまは願望と現実を混同する「幻想的願望充足」の症状
問題は眞子さまが「ほれこみ」の状態から脱してしまった時なのですが、そのことを語る前に、小室さんがNYでテレビ局の直撃取材に示した態度について触れておく必要があります。
小室圭さん
小室圭氏はフロイトの「しくじり行為】で、本音を露呈した
小室さんはポケットに手を突っ込みながら、記者を無視して歩き去りました。この時、彼の中には相反する二つの感情が衝突していたことが読み取れます。それは、「どうせ批判されるのだから帰国して会見なんかしたくない」という本音の気持ちと「人前に出る時はきちんとしなくてはならない」という建前の思いです。人は行きたくない場所に赴く際に、無意識に電車を乗り損ねたりする。これをフロイトは「しくじり行為」と定義し、「二つの意図の“干渉”によって生じる心的行為」だと説明しています。小室さんの振る舞いは「帰国して会見なんかしたくない」という無意識の欲望、言い換えれば本音を露呈させたものでした。
「帰国して会見なんかしたくない」という無意識の欲望・・。それが彼の本音。
時すでに遅し・・眞子さまは国民の声を理解される時がくる・・
結婚後、そんな本性が現れて、小室さんが眞子さまに対し“もう優しくする必要はない”と判断すれば、態度が180度変わる可能性も大いにあります。そうなれば眞子さまも、結婚に抱いていた希望が所詮は幻想だったと気づかれるでしょう。当然、「幻想的願望充足」の枷(かせ)からも解放されますが、時すでに遅し。これだけ国民の反対を押し切って結婚される以上、簡単には離婚などできず、冷たい態度を取られても我慢して生活せざるを得ない。その時に初めて、眞子さまも国民の声を理解されるのではないでしょうか。
「週刊新潮」2021年10月14日号
簡単には離婚などできず、冷たい態度を取られても我慢して生活せざるを得ない。・・・そのような目にあわせたくないのが国民の意思、小室圭氏との結婚は反対の声だとおもいますが、やはり、時、すでに遅し、なのでしょうね。
皇室駆け落ち婚、唯一の前例、久邇宮王女の場合は、離婚、再婚でした
皇室駆け落ち婚の前例は久邇宮王女です。
・昭和34年、1959年王女は家を出て結婚しました、26歳です。彼氏は27歳。
・完全な勘当処分、以後一切皇室に近づくな、寄るな触れるな、と絶縁
・2万坪の渋谷豪邸から、一転、新居は飯田橋の間取り2Kのアパート
・長岡義久氏は働いて収入をあげ、通子さまの過去の栄誉を取り戻そうとした。
・が、通子さまはそのようなことは望んでもいなかった。平凡に生きたかった。
・意思の疎通ができなくなり離婚。
・再婚は6歳年下のふつうの人、幸福感を得る。
波乱万丈の人生です。46歳のときに女性自身の取材を受けます。↑ 2万坪の豪邸から1Kのアパート、そして2DKの公団で幸せのときを得られました。
参考記事:皇室駆け落ち婚・久邇宮道子王女は勘当、離婚、再婚、現在88歳 https://tomo3koko.com/kuninomiya-mitiko/
久邇宮通子王女の場合は片田珠美医師の指摘である「幻想的願望充足」にはまったくとらわれてはいなっかた、といえるとおもいます。恋愛相手の彼よりも、現実願望充足 があったのです。幻想よりも現実でした。
まとめ
片田珠美医師の指摘・・・眞子内親王の症状。
・眞子さまは願望と現実を混同する「幻想的願望充足」の症状
・小室圭氏はフロイトの「しくじり行為】で、本音を露呈した
・時すでに遅し、眞子さまは国民の声を理解される時がくる
・・・おいたわしいようですが、これが眞子内親王をめぐる現実のようです。眞子内親王としては人生初の大きな蹉跌(さてつ。失敗)になりそうですが、それを乗り越えるとより豊かな人生がはじまるかもしれません。