週刊新潮・優生保護法の主犯は岸田政権ではない?真相!

おおっ!そうだったのか~。けしからん

写真:週刊新潮8月1日号 480円

週刊新潮は巻末122pから読むとおもしろい。

↑巻末122p。タイトル シズエの罪

優生保護法は加藤シズエら社会党が推進し成立

シズエとは、社会党の加藤シズエ(故人)・・

加藤 シヅエは、日本の政治家。元華族。婦人解放運動家・産児制限活動家。称号は東京都名誉都民。位階は従三位。 ウィキペディア
生まれ: 1897年3月2日,
死去: 2001年12月22日,
高山正之氏は「変見自在」で優生保護法に、そもそもの、
科学的な根拠を与えたのはチャールズ・ダーウィンと従兄弟のフランシス・ゴルトンだった。
ゴルトンは「天才は遺伝する」と主張して「優生学」を打ち立てた。
遺伝と交配を工夫すれば優秀な子孫が作れ、逆に悪いタネは人為的に排除できるのだのだと。
日本でも優生学に刺激されて人種改造論が流行り、昭和13年、民族優生保護法案が国会に提出された。
しかし議論は進まなかった。
例えば精神異常者の断種も「狂人と天才は紙一重という。天才まで排除してしまわないか」とか。
精神薄弱者についても揉めた。同じ時期、山下清の貼り絵が注目され、早大で展覧会も開かれていた

国会に提出されたが、揉めに揉める。反対論も活発だった。世の中の動き、世論にも簡単に屈しないのはさすがです。国会に提出されて3年もかかり昭和16年6月に「手術強制申請」(法案第6条)を除外でやっと成立したのだ。

しかし大東亜戦争終戦後、GHQアメリカのマッカーサー米国版の優生保護法案を強制した。

GHQの代理人は社会党の加藤シズエだった。戦前、渡米して、「避妊と中絶の自由」を説くマーガレット・サンガーに師事し、帰国後はヒトラーと同じに「中絶の自由」と「悪いタネの断種」を唱えた。

それが「日本の人口を減らす」マッカーサーの狙いと合致した。

岸田が謝っていたが、咎はマッカーサーと真実を伏せた新聞にある。

写真:悪かったと謝罪の岸田総理 (朝日新聞写真)

。。。

まとめ

人権を政治利用してはならない

https://www.jfir.or.jp/cgi/m-bbs/index.php?no=4206

今回の訴訟に応じて、常日頃から人権を口にする左翼系の政治家や言論人たちが「政府が被害者にだんまりを決め込んでいるのはおかしい」「日本の人権意識の低さがひときわ目立つ」などと政府攻撃をしています。しかし、旧優生保護法成立の経緯を見ると彼らの批判には違和感があります。なぜなら、この法制度はそもそも彼らの強い主張で出来上がったものだからです。彼らは自分たちのやってきたことに目をつぶり、政府攻撃に利用して利益を得ようとしているのです。旧優生保護法は、かつて日本社会党(現社民党)の福田昌子、加藤シヅエらが強力に推進した法律です。この法の下、本人の同意がない優生手術が統計だけでも約16,500件ありました。なかでも1,400名もの優生手術を施した宮城県では、1960年代、社会党系県議の求めに応じる形で手術件数を急増させたことが明らかになっています。人権を主張する側の人が実は、障害者を見下し、障害者を機械の不良品のように考えていたのです。優生保護法にはもう一つの背景があります。左翼系の人々は「産めよ殖やせよという人口政策は侵略主義につながる」という短絡的な考え方から、優先保護法を積極的に推進した経緯がありました。また、2003年に少子化社会対策基本法が立法化された際、社民党の福島瑞穂氏は「人口の増減を国家がコントロールすることは許されない」と強く反対しました。その後、福島氏は民主党政権下で臆面もなく少子化対策担当大臣に就任していますが、実質的には少子化対策は何もしなかったのです。

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