藤沢周平『飛鳥山』。人さらい犯に逃げてと祈りたい。母と子の涙物語。

藤沢周平短編集(日暮れ竹河岸・所収)の『飛鳥山』は”文章の彩(あや)彩(あや)に藤沢周平さん描く人物「女」の息遣いが聞こえてくるような名文です。子を産めずに夫と別れた女と母を亡くした幼女が桜の名所、飛鳥山で出会います。・・・二度読んでも三度読んでもぐんと胸つまるものがあります。NHKラジオ文芸館(朗読 江藤泰彦アナウンサー)にも収録されています(文末リンク)。

人をさらってさらわれて人生を見つけることもあるという物語りです。

物語の舞台は桜の名所、「飛鳥山」(あすかやま)です。

写真:飛鳥山公園(東京北区)

約300年前、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗(在職:1716年 – 1745年)が命じて江戸っ子たちの行楽の地としてひらかせたと言われる飛鳥山は桜の名所です。

この物語(飛鳥山)の主人公は「女」です。名前はありません。

桜は悲しさをおおい隠してくれます。小説『飛鳥山』は「女」が主人公です。名前は、固有名詞は、ありません。「女」です。

けんらんと咲きほこる桜のもとでくり広げられる花見の宴(うたげ)。その一陣からすこし離れたところに二、三歳ほどの少女がひとりいました。

 その小さな女の子と目が合ったとき、女は身体の中で何かがことりと音を立てたような気がして、胸がさわいだ。
それはかわいい子供だった。

 小さいからかわいいというだけでなく、うつくしい子だった。
ーーーー何てかわいい子だろう。
 ゆっくりと膝を折りながら、女はそう思った。胸がまだざわめいている。

きれいな書き出しです。・・ことりと音を立てた・・。胸がまだざわめいている。

商家と思われる男女十数人の宴の一団から十七、八歳の下女が走ってきて女の子を叱りつけます。「ふらふら歩き回っちゃだめじゃないの」「人さらいにさらわれるからね。それでもいいの」。人さらい? 女はすこしむっとします。そんなふうに見えるのかしら、まさか、いくらかわいいと思ったところで子供をさらう気持ちなどなかった。

若い娘と子供が帰ってゆく緋毛氈(ひもうせん)の上のひとびとは無礼講(ぶれいこう)の酒が回っているらしく、男たちは旦那らしい中年男を真中に、笑い声をひびかせながら杯をかわしている。女たちも花見弁当をひろげ大口あけてごちそうを食べていた。

赤ん坊抱いて若い女が、夫の子だと言ったその日、「女」は家を出た。

「女」はその場を立ちさり、山を下ります。時刻は八ツ(午後二時)を回ったころかと思われた。遅い昼飯をたべ、水茶屋に入ってゆっくりとお茶を飲んだ。そのあと権現様とお稲荷さんを参詣した。女の齢は三十四で独り身です。根津の引手茶屋で台所の下働きをし暮らしのたつきをえています。十八のときに隣村の染井村で小さな植木屋を営む男に嫁入ったが、子供が出来ないまま三年たったころから夫の夜遊びと深酒がはじまり、五年目の春に、赤ん坊を抱いた若い女が来て、これは夫の子だと言ったその日に、女は荷物をまとめて家を出た。

以来、十年がたちます。

 女は誘われれば男たちとたのしんだが、長くはつづけなかった。女の気持ちの底には男たちに対するどす黒い不信感が居座っていた。それは自分が子供を産めなかったことと、どこかでつながっているらしい。

 女は歩きながら、深いため息をついた。

 このごろふと、胸にしのびこむようになった孤独感が、ひしと女をしめつけて来た。こうしてあたしも年を取って行くのだろうか。ひとりっ切で—–。

ここで「女」のドラマは起承転結の「転」にいたります。お花見の午後という時間のうちだけで起承転にいたり、そして一気に「結」へ向かいます。

—— もう一度だけ。あのかわいい女の子を見てから帰ろう、と。女は、いま来たばかりの道を飛鳥山の方に小走りにもどりはじめた。

女は花見の宴のなかにあのかわいい女の子が頬をつねられている修羅場に出くわします。「この曲がった性根は誰にもらったのだ。死んだおっかさんか」・・・継母(ままはは)です。「妹のことを言うんじゃない。忘れがたみの姪(めい)をじゃま者扱いにする気か」宴の真中にいた旦那、継父(ままちち)は怒声をあげ胚を投げつける。二人の大げんかに緋毛氈の上のひとは総立ちになります。

逃げ出した女の子が「女」の前に・・・

 女がさし出した手に、子供がつかまった。女の胸は早鐘を打った。女は子供を胸に抱き上げた。子供の身体はずしりと重くて、あたたかった。女の胸に幸福感があふれた。

 子供は女の首にしっかりと腕を回してつかまった。女は走り出した。

 子供はささやいた。
「おっかちゃん」
「おう、おう」
 と女は答えた。突然に、女の目から涙があふれ出た。

ここで物語は終わります。

ああ、お願いだから逃げ切ってほしいと思いました。

人さらいとさらわれたかわいい子供は、この瞬間に「最高の人生を見つけた」のです。女の首にしっかり腕を回してつかまった女の子、走りながら涙をあふれさせる女・・・。逃げ切って新しい人生を生きるという選択もこの二人なら許されます。もちろん、この二人にもさまざまな苦楽はあると思います。それでも、生ききってほしい、と祈ります。

NHKラジオ文芸館(朗読 江藤泰彦アナウンサー)https://www.nicovideo.jp/watch/sm32987672

現在の飛鳥山公園、アクセス、見どころなど。

飛鳥山公園は東京都北区にあります。駅からのアクセス方法は、

  • JR京浜東北線「王子駅」中央口か南口下車すぐ。東京駅からは乗換なしの直通です。新宿駅からは駒込駅乗り換え、東京メトロ南北線で4分など。
  • 都電荒川線「飛鳥山」「王子駅前」下車すぐ
  • 北区コミュニティバス【Kバス】王子・駒込ルート[8][20]飛鳥山公園下車すぐ

駐車場(普通車21台、バス4台)。

飛鳥山公園にはベビーカー利用者でも気軽に登れる自走式モノレール方式の斜行昇降施設「あすかパークレール」があります。車両は「アスカルゴ」と呼ばれています。「アスカルゴ」は、車両がかたつむりに似ており、ゆっくりと飛鳥山の山頂目指して登る姿は、利用者から可愛いと評判です。無料で乗車出来ます。飛鳥山公園利用者やショッピング等で定期的に利用される高齢者もおられます。運転時間は、午前10時から午後4時まで(強風等悪天候の場合は、安全確保のため運転を中止することがあります)

飛鳥山公園の四季
https://www.city.kita.tokyo.jp/d-douro/jutaku/koen/documents/attachment_2_1.pdf

桜の見頃・本数
例年の見頃
3月下旬~4月上旬
さくらの本数
約600本(ソメイヨシノ、サトザクラ、カンヒザクラほか)

出典:東京都北区ホームページ
https://www.city.kita.tokyo.jp/d-douro/jutaku/koen/asukayama.html

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