弘田三枝子の死因は? 現在と昔の【画像】比較。美容整形の噂?

わたしは あなたに 命をあづけた・・・弘田三枝子さんの 命 はとつぜんに消えました。73歳です。死因は心不全でした。持病もなく元気にすごしていたのに、自宅で姉さんと話しているときに倒れて亡くなりました。もうあの絶唱はもどらない・・・。

ほこりにまみれた 人形みたい

69' 人形の家 弘田三枝子 生田悦子

                      作詞なかにし礼 作曲川口真 唄弘田三枝子

1969年、51年前、半世紀前、22歳の弘田三枝子さんです。

こちら↓は2016年3月25日69歳、4年前です・・テレビ朝日「徹子の部屋 ~弘田三枝子~」での姿です。

激ヤセ、顔面崩壊、美容整形しすぎなどのネット中傷が跋扈(ばっこ)しましたが、そのような心根の腐った非難はやめてください。人生、いろいろです。歳月はいやおうなく人を変貌させます。それでいいじゃないですか。ずっとうつくしくありたい・・・それもいいのです。

かおをみたくないほど きらわれるなんて とてもしんじられない
あいがきえたいまも ほこりにまみれた にんぎょうみたい

弘田三枝子さんのあの絶唱へのせめてもの恩返しに、彼女の73年におよぶ人生への讃歌という祈りをささげたいと思います。

弘田三枝子さんの経歴。英語っぽい日本語?戦後ポップス代表歌手。

弘田三枝子さんは1961年11月、14歳で「子供ぢゃないの/悲しき片思い」でレコードデビューしました。その後「ヴァケーション」「想い出の冬休み」「悲しきハート」などカバーポップスでヒット曲を連発します。1962年、15歳で「第13回NHK紅白歌合戦」に出場しました。その後9年連続で紅白に出場し、「夢みるシャンソン人形」、アニメ「ジャングル大帝」の「レオのうた」、「人形の家」など大ヒットを連発しました。

あの天にまで突き抜けるような歌唱力は天賦の才、天才です。

「西洋のリズム・メロディラインと日本語の言語としての伝達能力の問題を克服する手段として、英語っぽい日本語を考え出したのは弘田三枝子」

出典:村田久夫・小島智編『日本のポピュラー史を語る―時代を映した51人の証言』シンコーミュージック、1999年10月14日、246-251頁。

今年、2020年はデビュー60周年です。記念曲やコンサートなどの予定が、新型コロナウイルスの影響で延期されていたのです。

弘田 三枝子の本名は?愛称はミコちゃん。 和製の R&B と言われた。

歌手名:弘田三枝子
本名:竹永三枝子
生年月日: 1947年2月5日 (年齢 73歳)
出身: 東京都 世田谷区
身長: 160 cm

弘田 三枝子は、日本のポップス、歌謡歌手。愛称はMICO、ミコちゃん。 歌唱力とパンチの効いた歌声で、洋楽をカバーした和製ポップスを歌ってヒットをさせ、和製の R&B とも評されました。

注:R&Bとは「リズムアンドブルース」の略でアメリカのアフリカ系アメリカ人が生んだポピュラーミュージックのジャンルの1つ。1940年代にブルースやジャズ、ゴスペルの要素を合わせることにより活気のある都会的なリズムが生まれ、それが後にR&Bとなりました。

引用:ダンスニュースメディアサイト “デュース” https://dews365.com/newpost/180895.html

幸いにして弘田三枝子さんの歌声は残りました。

絶唱をもう一度聞きながら、ご冥福を祈ります。弘田三枝子さん、ありがとう。

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