志村けんが夢中になった50歳年下の女性・・週刊新潮!画像、全文

ありゃま、死者に鞭打つ? 本人(志村けん2020年3月29日・70歳没)および関係者も文句のつけようがないかたちで旧悪を暴かれてしまいました。

週刊文春が高倉健(2014年11月10日・83歳没)の生前をあれこれ暴露していますが、露悪的趣味でいえば新潮の圧倒的勝ちです。キス写真やラインつきです。タイトルもショッキングさも新潮の勝利です。

志村けん

みたくない?

ごめんなさい。

志村けん

「子どもが欲しい、産めますか?」志村けんが夢中になった女性が明かす素顔

「子どもが欲しい、産めますか?」 志村けんさんが晩年、夢中になった女性が明かす素顔、今でも忘れられない“胸を打つ”一言とは?

↑ これ新潮のタイトルです。

「子どもが欲しい、産めますか?」・・う~ん、子孫繁栄、子孫継続本能をあらわにかき口説くとは・・でも本気だったのか、口説きバージョンの一つにしても、強烈パンチです。じかに肉体関係の交わりを迫っています。さすが、です。

で、もって・・こっちも(不肖)てらいもなく週刊新潮記事をすっかり全文紹介します。

あっ、

3月30日発売の「週刊新潮」では、女性が語った志村さんの知られざる素顔について詳報する。

とありますので、よりリアルに読みたい眺めたい方は、買って読んでください。

では、いきますよ、デイリー新潮掲載です。↓

・・・・

初対面でキスされ……
志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎のため70歳で亡くなったのは2020年3月29日のことだった。あれから3年、私生活で見せてくれた謙虚で真面目な人柄、そして寂しげな顔が忘れられない、と語る女性たちがいる。生前、いろいろな浮名を流したこともある志村さんだが、晩年に心を許した女性が二人。彼女たちが志村さんの素顔と、繰り返し語っていたという「子どもが欲しい」という思いについて明かした。

「志村さんと出会ったのは、2017年の年明けだったと思います」

そう明かすのは、生前の志村さんと親交のあった佐藤結衣さん(28)=仮名=である。生涯独身を貫いた志村さんの晩年の私生活で、彼女は欠かせない存在となっていた。出会いのきっかけは同年2月、結衣さんが勤務していた麻布十番のガールズバーに志村さんが来店したことだという。

「新人なので、志村さんをいきなり担当させてもらえるわけもなく、“新人が入りました”とほかのスタッフから紹介だけしてもらいました。その後、一番下っ端だったので、2階のトイレ掃除をしていたら、突然志村さんが入ってきて、私のほっぺを両手で持った状態でチューしてきたんです」

その場で携帯電話の番号を交換。すぐさま食事の約束もし、二人は急接近していった。

「志村さんのデートの定番は十番のリラクゼーションスパから始まるんです。90分か120分コースを予約して、最初のデートではそこの個室のテレビで相撲中継を見たりして過ごし、スパから至近距離にある高級焼き鳥屋に出かけました」

“子どもが欲しい、産めますか?”
その後も同じようにスパで集合し、近くの寿司屋で食事をする関係になるも、ある時、志村からこう叱られたという。

「志村さんが“スパには来るのにどういうことだ”と諭すようにおっしゃるんです。要は志村さんにとって、スパの個室は男女関係を結ぶ場だったんです。私はホテルでそういう関係になるものだと思っていて、それまでやんわり断っていました。ただ、私も好意を寄せていたので、そういう関係になるのはうれしかった」

麻布十番の志村のマンションに連れて行ってもらうと、

「そこで“ツーショットを撮ろう”とキスしている写真を撮り、“子どもが欲しい、産めますか?”と聞かれて“産めます”とお答えしました。志村さんはごはんを食べる度に“結婚したい”“子どもが欲しい”と話していたので、そう答えたらとても喜んでいました。さらに、そのマンションも私に“自由に使って”と」

27人ほどの女性を紹介しました

27人ほどの女性を紹介
彼女はうれしさのあまり、そのツーショット写真をLINEのアイコンに設定した。すると、先のガールズバーのオーナーに見つかり、「店外で会うのは店のコンプライアンス違反だ」と激怒されてしまう。結果、結衣さんはガールズバーを退店。

その騒動の余波で結婚の話は流れてしまい、男女の関係も終わりを迎えた。それでも志村さんと何らかの付き合いを継続したかった彼女はある驚きの「提案」をする。

「私はVIPに女性を紹介する交際クラブに籍を置いていました。そこで、志村さんに知り合いの女性を紹介するようになったんです。2017年の春から亡くなるまでの3年弱の間、3カ月から半年に1度のペースで合計27人ほどの女性を引き合わせました」

女性を紹介する際は結衣さんがまず2、3人の女性を連れ、麻布十番のカフェで待ち合わせ、気に入った子と志村さんがスパへ向かう。さらに、その後の食事では結衣さんを含む女性たちが合流するという流れだった。

食事代のほかに交通費として帰り際に2万円を
何とも奇妙な関係性だが、紹介された女性の一人がこう語る。

「志村さんがスパに別の女の子と行き、私はその後の寿司屋でお会いしたんですけど、好きな食べ物や仕事の話をいろいろ聞いてくださいました。食事の後にLINEをしたらスタンプを送り返してくれて」

そうした女性には食事代のほかに、交通費として2万円を帰り際に渡すのが常だったという。

その中でも入れ込んでいたのは結衣さんともう一人、志村さんが亡くなる直前に紹介した女性。その二人に共通していたのは志村さんが「自分の子どもを産んでほしい」という言葉をかけていたことだった。

「男性として自分の子孫を残したいという欲求が強かったんだと思います。2016年に肺炎のため大阪で入院した際、死期を感じたのかもしれません」

“どんなにお金を持っていても普通の感覚を”
結衣さんが今でも忘れられない言葉がある。まだ交際中だったある日、駅まで車で送ってもらった時のことだ。

謙虚に生きなさい、と志村けんさんの言葉

“どんなにお金を持っていても普通の感覚を忘れちゃいけないよ”“謙虚に生きなさい”とおっしゃっていました。志村さん自身がとても謙虚な方なんですよね。あれだけ芸能界でキャリアを積まれてきた方です。娘以上に年が離れた女性に対し自慢話のひとつもしたくなるものですが、私は志村さんと3年ほど接していた中で、一度もそうした話をされたことがないんです」

酒とコントと女性を愛し、まばゆい芸能界を歩んできた不世出のコメディアン。彼がオフで見せていたのは、寂しさすら漂わせながら、女性に安らぎを求めたもう一人の「志村けん」の姿であった。

3月30日発売の「週刊新潮」では、女性が語った志村さんの知られざる素顔について詳報する

・・・・

・・以上です。

まとめ

お目よごし、かも? でも、つい見てしまう。

でも、彼女はみてほしがっている、と見えますね。

志村けん

志村けんさんのご冥福を祈ります。

週刊新潮

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする