総裁選で女系天皇○の河野太郎を派閥長麻生太郎が推さない理由二つ?

河野太郎大臣、麻生太郎大臣、、、おなじ派閥の太郎つながりの二人が組めば太郎ニッポン、太郎ジミントウ万歳! 河野太郎総理! とは、易易(いい。やすやす)とは、日本は前には進まない、ようです。

河野太郎

写真:河野太郎著書『日本を前に進める』

マスメディアは総裁候補最有力と押し上げています・・。しかし、

「河野さんが総裁候補になってしまうと、そこで麻生派の代替わりが起きてしまう。つまり麻生さんが一丁上がりになってしまう」(ジャーナリストの後藤謙次氏)などという知ったかぶりのヤジもありますが、知ったかぶりはジャーナリストの商売です。あ、ヤジもないようではおもしろくありませんので、どんどんおやりください。が、品のないヤジはいけません。

商売ぬきで探ってみます。びっくりです、ヤフコメ欄(普段はせせら笑っていますが。ごめん)に意外や意外、真相に近づく投稿がありました。

麻生派の元は「大勇会」といって河野洋平が立ち上げた派閥。
なので、派閥は本来総裁候補を担ぐ組織なわけだから、河野太郎を担ぐと河野家へ派閥を返す必要があると言うこと。
まぁ、前回の時点で麻生太郎から河野太郎の間の議員誰も担げなかったんだから、河野太郎に返せばいいんだけども、安倍ちゃんと組んでキングメーカーごっこやりたいんだろうね。

派閥に頼らずづい選任を詰めなければいけないんだが、河野太郎は推薦人を確保できるかなぁ

もう少し詳しくは・・・。

麻生派の「旧・大勇会」でも親中(河野洋平)、親台(麻生)で路線は違っていた

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1999年(平成11年)1月、河野洋平(河野太郎の父)を高く評価していた三木派出身の鯨岡兵輔を最高顧問に迎え派閥として宏池会系の大勇会(たいゆうかい)(河野洋平派グループ)を旗揚げした。領袖は親中派の河野洋平であるものの、派のメンバーは麻生を筆頭に親台湾派の議員がほとんどであった。

2006年(平成18年)5月、グループ所属議員の河野太郎(洋平の子)が、同年9月に行われる自民党総裁選出馬に意欲を見せる麻生太郎に先駆けて、立候補を表明した。しかし、大勇会では既に麻生の出馬を前提に動いているため、鈴木恒夫大勇会事務総長が河野太郎に対し、「(河野太郎が)総裁選出馬を辞退する場合は、麻生氏の推薦人になるように」と、異例の忠告を行った。実際に出馬断念し麻生陣営に参加した。

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麻生太郎さんの口癖、「河野はまだ早い」は、2006年のセリフでそれが2021年の現在も、生きているのはいかがなものかとは思いはしますが、政治路線の根本的なちがいはいかんともしません、と、おもいます。あ、河野太郎さんと河野洋平さん(父)は政治的には異なるような印象を与えていますが、どうでしょうか? 2002年には河野太郎さんは生体肝移植で河野洋平さんの命を救いました。一心同体の強い絆があるはずです。あ、あ、それとこれ(政治)は別かもしれませんが・・。

あ、あ、変節はありですよ、君子は豹変す、です。ああ、不肖ぼく(筆者)も十代は朝日新聞ファンでしたが、今は大嫌い朝日新聞 笑 、あ、関係ない話ですみません。河野太郎さんに「親中」のイメージはありませんよね。話、元へ。麻生太郎さんはなぜ河野太郎さんを推さないか、です。

安倍前総理と麻生太郎大臣は親戚で二人は大の仲良し

安倍前総理と麻生太郎大臣

写真:安倍前総理と麻生太郎大臣は大の仲良し

親戚で仲良しの安倍前総理はいち早く「高市早苗」押しを表明しています。政治路線でも麻生太郎さんも高市早苗さんに近いのです。麻生太郎さんが政治路線をおなじくしない「河野太郎」押しにはならないのは自明の理(あれこれ説明する必要のない話)ですね。

ちなみに、

安倍・麻生は親戚

安倍前首相の祖父(おじいさん)・岸信介の従兄弟(いとこ)の奥様の甥が麻生太郎大臣(元首相)ですね。親戚としては遠いようにもみえますが、麻生太郎(80),安倍晋三(66)が並んで笑っていると遠さはまったく感じません。

さらに、上の系図をよくよくご覧くださればわかるように、麻生太郎さんのきょうだい、妹・信子さんは三笠宮崇仁親王(故人)の奥さま、三笠宮崇仁親王妃です。

三笠宮崇仁親王妃

写真:三笠宮崇仁親王妃

要するに安倍前総理も麻生太郎大臣(前首相)も政治的立ち位置をおなじくし、しかも皇族、天皇家つながりでもあるわけです。で、そこで、皇族問題での河野太郎大臣のスタンスです。

河野太郎の「天皇・女系容認」が最大のウイークポイント(弱点)

旧皇族・竹田恒泰氏のツイートを、どうぞ。

不肖、あ、不肖はわかっている、不肖ぼくは皇室問題はうといので引用します。女性天皇と女系天皇の違いが説明できない国民は94%、だそうですね。

ジャーナリスト、椎谷哲夫氏著書の『皇室入門』からです。

皇位が「女系」に移ったことはない
皇室典範の改正案に絡んで「女性天皇(女帝)」や「女系天皇」という言葉が出てくるが、両者は全く異なる概念であり、これを混同している人が少なくない。

歴代の天皇のうち女性天皇は8人10代(2人の天皇が重祚)で、最も古い女性天皇は第33代の推古天皇(在位592年~628年)。第29代欽明天皇の皇女であり、第30代敏達天皇の皇后だった方で、当時の皇位継承をめぐる争いや混乱の中で39歳で即位した。

最後の女性天皇は江戸時代の第117代の後桜町天皇(同1762年~1770年)。異母弟で先帝の桃園天皇が22歳の若さで崩御し、その皇子たちが5歳と3歳で幼かったため中継ぎとして23歳で即位した。

大切なことは、いずれの女性天皇も、皇統を中断させないための中継ぎとして登場し、後の皇位を例外なく男系の男性天皇に引き継いでいることだ。

一方、女系(天皇)とは、男系と違って「母方から皇室の血統を受け継ぐ」という血筋を区別した言葉であって、女性天皇とは概念自体が異なっている。世論調査などで「女性天皇に賛成か反対か」と問われた際に、どれだけの国民が女性天皇と女系天皇の違いを区別して答えているかは甚だ疑問である。

このように女性天皇は存在したが、皇位が女系の天皇に移ったことは一度もなかったのだが、識者の中には、古代には女系による皇位継承が法的に認められていたとする説を主張する者がいる。

根拠としているのは、第46代孝謙天皇(女性天皇)時代の西暦757年に施行された「養老律令」の中にある「継嗣令」の条文で、「天皇の兄弟、皇子は、みな親王となす」との規定の注記に「女帝の子もまた同じ」とあるからだと言う。

しかし、継嗣令では女性皇族は男性皇族と結婚する義務があり、女性天皇も例外ではなかった。だから、女帝に子が生まれても男系の血を引いているため、仮にその子が即位しても女系とはならない仕組みになっていた。

つまり、女系天皇容認○は、皇室の歴史をまっこうから覆すことになるのです。天皇を柱とする君臨すれども統治せず、という「皇室の権威」と「政治実権」を別けてきた日本史への挑戦です。女性天皇○はそうではありませんが、女系天皇○は、そういうことです。革新ではなく否定です。とても保守本流が唱えるとは・・おもえません、と、おもいます。野党や共産党は女系天皇○ですね、。

河野太郎大臣が女系天皇○では麻生太郎大臣が☓を出すのは明らかです。

まとめ

自民党総裁選で河野太郎大臣を派閥長の麻生太郎大臣が推薦しない理由を述べました。

1・麻生派の「旧・大勇会」でも親中(河野洋平)、親台(麻生)で路線は違っていた
2・高市早苗押し安倍前総理と麻生太郎大臣は親戚で二人は大の仲良し
3・河野太郎の「天皇・女系容認」が最大のウイークポイント(弱点)

ま、1は、過去のいきさつです。2は、政治状況の判断です。3は、これは保守にあるまじき決定的ミステークです。

今からでも遅くはない。女系天皇は☓に変更してください。現状は三笠宮悠仁親王という後継者もおられます。論議そのものも不要といえます。変節といわれてもいわれなくてもいい。むかしから君子は豹変します。政治家としての訴求力、実行力はとても優れています。今後に期待します、河野太郎さん、がんばってください。

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