大の里幼少年時代【画像あり】の強さを”目に汗”の父親が語る

”目に汗”は比喩ですよ。大の里・父の中村知幸さん(48)がうれし涙を照れ隠しで、汗、と口走った。ホントの汗が目に入ると結膜炎に・・と目医者さんは言いますが、いや、ともかく、大の里(24)、優勝&大関昇進、おめでとうございます。不詳もうれしいです。

写真:大の里、強い!

強い人が強さを見せつけて勝つ・・これ、勝負事に不可欠の面白さです。痛快さです。

このまま、唯一無二の横綱へまっしぐらに走ってください。

そして父の中村知幸の目にいっぱい 大汗、をかかせてあげてください。

スポニチアネックス
日本相撲協会は25日、東京・両国国技館で臨時理事会を開き、秋場所で2度目の優勝を果たして直近3場所合計34勝を挙げた大の里(24=二所ノ関部屋)の大関昇進を満場一致で決定した。初土俵から所要9場所での史上最速昇進。唯一無二の記録をつくった24歳は、茨城県阿見町の同部屋で行われた大関昇進伝達式で、その先の地位を目指すことを誓った。  伝達式には、大の里の父の中村知幸さん(48)、母の朋子さん(48)、妹の葵さん(20)も駆けつけた。父・知幸さんは、自身の言葉を用いた口上に「家族思いで親孝行な息子ですね。鳥肌立ちました。目から汗が出ました」とうれし涙。速すぎる出世に「まさかこんな日が来るなんて…びっくりですね」と感慨深げに話した。  秋場所千秋楽にも観戦に訪れていた中村一家。千秋楽の夜に、家族全員で優勝パレードのオープンカーに乗せてもらったことを明かした。「最高の思い出ですよ。良い記念になりました」。息子が相撲協会の看板力士となり「遠い存在になっちゃいましたね」と苦笑いしながらも「人懐っこいところは変わらない泰輝のままです」と誇らしげに話した。

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三つ子の魂百まで、じゃ~ん

おもえば遡ること20年前・・↓

写真:化粧まわし姿の生後3カ月の大の里 中日スポーツ

三つ子の魂、百まで(3歳の子供の性質は、100歳になっても変わらないという、持って生まれた性格は、生涯変わらない)・・じゃじゃんじゃあーん、、

父中村知幸さんはアマチュア相撲で活躍していました。

大の里が相撲をはじめたのは小学1年生です。父は厳しく指導しました。

津幡小1年で相撲を始めて6年間、腕を磨いた「津幡町少年相撲教室」ではコーチでもあった父に「ボコボコにされましたね。指導はめちゃくちゃ厳しかったけど、父の背中を追いかけてきた。大きな存在です」と感謝の思いを抱き続けている。

そして、ここから先は・・じゃじゃんじゃあーん、、

写真:高校相撲金沢大会に出場した中村泰輝(大の里)=2018年5月20日、卯辰山相撲場

「泣きながら食らいついてきた」大の里

「泣きながら食らいついてきた」
大の里 父に聞く強さの秘密
スポーツ 北国新聞  https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1410421#goog_rewarded
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■父に聞く 最強力士の育て方 自立しようとする姿応援

力強い突き押しで白星を積み重ね、土俵を下りれば人懐こい笑顔をみせる。デビュー1年で早くもファンの心をわしづかみにする角界の星はどのように育ったのか。父知幸さんに「最強力士の育て方」を聞いた。(北國新聞社運動部・杉岡憲介)

「泰輝(だいき)の性格を一言で言うと、忍耐強くて熱い男。自分で決断し、道を切り開く姿はわが子ながら尊敬します」。子どもの頃の息子の写真を手に知幸さんは目を細めた。

知幸さんは松陵工(現北陵)高相撲部OBで全国青年大会無差別級で準優勝した実力者。大の里が小1で入った津幡町少年相撲教室では自らまわしを着けて指導した。他の子の手前、わが子に甘くできず、人一倍厳しく接する父に大の里は泣きながら必死に食らいついてきたという。

知幸さんは184センチで、母の朋子さんも165センチ。「小学生で牛丼大盛り3杯食べていた」大の里は同級生より常に頭一つ大きく、相撲でも負け知らず。しかし、小5になるとライバルが力を付けてなかなか勝てなくなり、相撲への情熱が冷めかけたことがあった。

「もう僕を指導しないで」と中学生の息子が

●「もう僕を指導しないで」と中学生の息子が

その頃、テレビで知ったのが、穴水町出身で新潟・海洋高相撲部に進んだ三輪隼斗さん(ソディック)の活躍だ。全国王者を目指して稽古に励む同郷の先輩の姿は、相撲少年の心に火を付けた。知幸さんから見ても「目の色が変わった」大の里は、三輪さんが相撲留学した糸魚川市の能生(のう)中への進学を決めた。

わが子の決断を尊重し、快く送り出した知幸さんだったが、心配で練習や大会のたびに新潟に駆けつけた。しかし、入学して3カ月ほどたった頃、大の里から「もう僕に相撲の指導はしないで」と言い渡された。

「息子なりの配慮だったのでしょう。私があれこれ言うと中学の指導者がやりにくくなりますから。さみしくもあったけど、自立しようとする姿に胸が熱くなりました」。知幸さんは、その日以来、技術的な指導は一切していないという。

親元を離れ、特訓を積んだ大の里は次第に頭角を現すようになる。中3の8月、北信越大会で優勝すると、翌週の全中で3位に。翌年1月の白鵬杯で全国初制覇した。

新潟・海洋高では高3で十和田大会を制したが、全国優勝は1回のみ。「全国大会で2度以上優勝できたら角界、できなければ進学」との自身の取り決めに従って日体大に進んだ。

●逃げたら上がれん

貴乃花みたいで骨格がいい。

大相撲で躍動する息子に「私が言うのもなんだけど、貴乃花みたいで骨格がいい。いまだ押されて負けたことがなく、本当にいい相撲を取っている」と相好を崩す。しかし、時には厳しい父の顔をのぞかせる。

「なんで勝てんげんろ」。7月場所で3勝3敗となった大の里は父にラインでメッセージを送った。知幸さんは「スピード出世にこだわらないという(二所ノ関)親方の言葉に逃げとったら、いつまでも上がれんよ」とあえて厳しい言葉を返した。その言葉に奮起したのか、大の里は勝ち越して十両昇進を決めた。

角界に入るとき「関取になるまで帰ってくるな」と送り出した。わずか2場所で関取になり、お盆に帰省した息子に「ちょっと早すぎるんじゃない」と知幸さん。出世街道をひた走る息子を厳しくも温かいまなざしで見守っている。

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まとめ

さあぁ、さ、楽しみな綱取りがはじまります、ね。

写真:親方と大の里

横綱への口上は、、どうなるでしょうか。

おもうだけで 目に汗 がどどどっと吹き出しそうです。

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