ジェリー藤尾さんが急性肺炎のため死去 81歳でした。
どこか遠くへ 行きたい 遠い街 遠い海 夢はるか 一人旅
愛する人と めぐり逢いたい どこか遠くへ行きたい
耳を澄ますと、どこか遠くから歌声がきこえてくるような気がします。てらいのない歌声のような、悲しみも苦しさも乗り越えた、ステキな人生だった、と、おもいたい。
ジェリー藤尾さん、20歳の歌声になりますね。ぼくは(tomo)初耳です。
1940年に中華民国上海の日本租界で生まれる。
本名 藤尾薫紀 ふじお しげき
生年月日 1940年6月26日
没年月日 2021年8月14日(81歳没)
出生地 中華民国 (汪兆銘政権)・上海市
死没地 神奈川県横浜市
ジャンル 歌手、俳優、タレント
活動期間 1958年 – 2021年 (Wikipedia参照)
ジェリー藤尾壮烈10代・・イギリス人の母死亡、愚連隊「三声会」用心棒
父は高知県出身で日本放送協会国際部勤務で英語アナウンサーをしていた藤尾薫宏。母はイギリス国籍・オリビア・ヒース・ゴンザレス。1946年に家族で日本へ引き揚げる。上海では英会話のみで生活していた。帰国後の藤尾と母は言葉の壁や外見から差別を受ける。
母は、孤独を紛らわすためアルコール依存症に陥り、藤尾が中学1年生の時に、台所で吐血しウィスキー瓶を握り締めたまま28歳で死去。息絶えた母を発見したのは、学校から帰宅した藤尾だった。
その後、家庭を顧みる余裕をなくした父。深く傷つき、新宿など夜の繁華街で荒んだ生活を送り、愚連隊「三声会」の用心棒を務めるまでになった。ヤクザすら道を譲るほど喧嘩に明け暮れていたが、次第に音楽への道を志すようになり1957年にバンドボーイとして出入りしていたジャズ喫茶でエルヴィス・プレスリーの『ハウンド・ドッグ』を飛び入りで歌ったところ、マナセプロダクションからスカウトされ、芸能界入りした。
専修大学附属京王高等学校(現・専修大学附属高等学校)中退。
1962年、21歳、「遠くへ行きたい」♬。
この歌がその後81歳没年まで、60年間の代表曲になった。すごいです。
ぼく(tomo)の個人的好みでは同じ歌でも晩年の歌声のほうが好きです。
老いて衰えなかったジェリー藤尾の感情表現パワー
しみじみと歌声がこころの奥につたわってきます。ソウルミュージックはアメリカの黒人社会のソウル(魂)音楽ですが、ジェリー藤尾さんの歌声は、日本の感情、気迫、生気、情熱と、そして若くしてなくなった英国人の母のおもいから発しているようにおもえます。生まれたチィナ、日本、母のイギリス・・中、日、英のソウル(魂)がリスナーの人人につたわってきます。
「遠くへ行きたい」の歌、誕生秘話を紹介・・
以下は、西日本新聞記事(2020/11/2)の引用です。
テレビの紀行番組「遠くへ行きたい」がスタートしたのは1970年である。その主題歌の「遠くへ行きたい」が生まれたのは62年だ。
<知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい(略)遠い街遠い海 夢はるか一人旅>
この詞は永六輔が九州の旅先から中村八大へ送った。2人はNHKの「夢であいましょう」の「今月のうた」を担当、常にこのコーナーの曲作りが日々の生活の中にあった。中村の長男の力丸は「飲み帰りのタクシーの中で曲が浮かんだ」と言う。
平易で簡潔な歌詞である。ただ、元々は「およそ四倍、大変長大な叙情詩だった」と中村は記している。永は詞を削り、短くすることにすんなりと同意したわけではない。作詞家としてのプライドもある。中村も「しのびないし、口惜しいし」と永の心情を思いやっている。論争の後、最終的には永が折れた。永は後年、中村に次のように語った。
「詞で何もかも言い表す必要がないことが、つくづくよくわかった。言いたいことの半分は、メロディーにまかせて良いもんだな」
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× ×
「遠くへ行きたい」は名曲として多くの歌手がカバーしている。最初に歌ったのはジェリー藤尾だ。ジェリーの自伝「ともあれ、人生は美しい」の中で書いている。
「『黒い花びら』は最初、僕に歌わせるつもりだったけど、まだ君が若すぎたからやめたって、中村八大さんに一度言われた(略)それで、八大さんは、僕に『遠くへ行きたい』をくれた」
ジェリーは歌い方に戸惑った。具体的な土地名などがなく「どこか」である。
「遠い街、遠い海…ってどこ(略)どこをイメージして、どこにポイントを置いて歌えばいいか、これ、難しい歌なんですよ」
逆に聴き手にとってはご当地ソング的な制約がなく、それぞれが「どこか」を想像できる自由があった。これも歌い継がれている一つの要素だ。
ジェリーは40年に中国・上海で生まれた。戦後まもなく日本に引き揚げた。両親は中国・青島で出会い、結婚した。青島は中村の生まれたところでもある。中村とジェリーの共通点は戦前の大陸生まれで、引き揚げ者であることだ。「遠くへ行きたい」に流れる漂泊感にはこうした体験も投影されているだろう。
=敬称略
(田代俊一郎)
注:中国・青島 青島・・チンタオ
まとめ
ジェリー藤尾さん、60年間の現役歌手、ご苦労さまです、ありがとうございます。歌声が耳に聞こえてきますので、亡くなったとはおもえません。
きっと天国でも歌いつづけておられるような、そんな気がします。
ありがとうございます。
目尻の傷は悲しみの刃??
コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ (井伏鱒二・和訳)
付け加えるなら、
あ、こんには、これもじんせいだ、、また逢おう ♪