・・・父が生家から500メートル先の公園でフラッとして、いかん(当人曰く)とその場にしゃがみ込んだ。どうしたんだ? 初めてのことであわてた。すぐにあおむきになったらしい。すると近くのベンチに脳梗塞から退院し、それでなくても普段から少し物事の対処がゆっくりな老人がいたらしい。父が彼を呼ぼうとすると、その人は父の隣にいきなりあおむけにになり、「大将(田舎ではそう呼ぶ)何が見えますかの」・・・『許す力』伊集院静60頁。
読んでわかった『許す力』(大人の流儀4・伊集院静著)のおもしろさ。深夜に腹筋がよじれるくらいに笑って笑って・・の頁が二箇所ありました。
えぇ、大真面目な本ですよ、なるほど、なるほど。でも一気読みしてさよならは惜しい本ですよ、と、いえるくらいに愉快で楽しい本です。
『許す力』(伊集院静)は爆笑できる箇所が二つあります
完全ネタバレ100%がイヤな方は読まないでくださいね。この不肖ぼくが、腹筋をブルブル震わせて笑ってしまった頁をまんま転載します。
一つ目は、60,61頁です。
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父から言われたいくつかのひとつ。
「おまえ頭の中は自分ではどうしようもないから気を付けろ。それに人はあてにならんから」
と言うのは父が生家から500メートル先の公園でフラッとして、いかん(当人曰く)とその場にしゃがみ込んだ。どうしたんだ? 初めてのことであわてた。すぐにあおむきになったらしい。すると近くのベンチに脳梗塞から退院し、それでなくても普段から少し物事の対処がゆっくりな老人がいたらしい。父が彼を呼ぼうとすると、その人は父の隣にいきなりあおむけにになり、「大将(田舎ではそう呼ぶ)何が見えますかの」
母かお手伝いを呼んでこいと言おうとしたがこいつでは話にならんと思った。次に自転車の呼鈴がして近所の顔見知りの昔は遊び人で今は少しボケてるオヤジが、二人並んで空を見ている父に気付き、「大将、どうかされましたか」と訊いた。こちらはまだまともである。父は「すぐわしの家の者を(いや留守かもしれんナ)そこの燃料店の誰かをすぐに呼んで来てくれ」
「燃料店の誰を呼んだらええですかの」
「誰でもいい。早くしろ」
「はい、大将?」
「何だ?」
「煙草を買って来てからでもええですか」
父は目を閉じてうなずいたらしい。
人はあてにならないとはこのことだった。
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二箇所目は、111~112頁です。
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山本夏彦翁がアポロ11号の月面着陸へ名文
昨夕のサイン会の後、編集者の挨拶があって銀座のO羽のカウンターに座った。
昔話ばかりをしていたが、途中、自分の座っている席に、以前は山本夏彦翁が、毎週一人で座っていたことを思い出した。
・・・・・不肖筆者の注:山本夏彦・(1915-2002)1915(大正4)年、東京下谷根岸生れ。詩人・山本露葉の三男。少年期に渡仏後、1939(昭和14)年24歳のとき「中央公論」に「年を歴た鰐の話」(L.ショボー原作)を発表する。1955年雑誌「室内」を創刊。1984年に菊池寛賞を受賞。1990(平成2)年に『無想庵物語』で読売文学賞を受賞した。・新潮社プロフィ引用
・・・・・注・終わり。以下『許す力』111頁つづく。
二〇二〇年にオリンピックが東京にやって来るというので、その話題に関しては日本人の皆が皆浮かれているように映る。
私は若い時からオリンピックというものにまったく興味がない。
(中略・三行)
勿論、オリンピックはお祭りで、それが日本にやって来るというのは良い報せだし、とやかく言う立場ではない。きっと日本中が昂揚する数週間になるだろう。
その夜、私が座っていた椅子に長く座って黙って酒を飲んでいた山本夏彦は、一九六九年、アポロ11号が月面に着陸し、人類が初めて月の土を踏み、世界中が歓喜した翌週のコラムにこう書いた。
”何用あって月へ?”
山本翁の真骨頂の名文だった。
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以上、二箇所でした。
まとめ
許せないことは許さなくてもいい。でもいつもいつも罵るばかりではこっちがバカになる。許さなくても忘れることだという伊集院静さんのお言葉はさすがですね。
男は過去に生きるが、女は現実に生きる。女のほうが立ち直りは早い・・うんうん、と頷きます。
大真面目な大人の流儀なのに、大笑いしてよろこんでいる不肖ぼくは、やはり不肖な男です。取るに足りない、未熟で劣るノーテンキなアッポちゃんかな? あげくネタバレ100%どころか、まんま転写するというおそ松くんでございました。ごめんなさい、謝る力 が不足な不肖でした。