平井英子若い頃の歌You Tube動画4本ー天才少女が104歳で死去

平井英子

写真:平井英子(ひらいひでこ)。104歳天寿。

歌は日本の誰のこころにも響くだれでも知っている歌ばかりですよね。お恥ずかしことに【平井英子】さんのお名前ははじめて知りました。でもでも超音痴のぼくでも歌える歌ー「てるてる坊主」「汽車」「あめふり」「茶目っ子の一日」ーをYou Tube動画で視聴しながらご冥福を切に祈らせていただきました。104歳、天寿まっとうの永眠、最期は、しずかにしずかに息を引き取られたそうです。

注:正確には103歳です。テレビ、大手新聞など各メディアが一斉に104歳と報じたのでそれに倣いました。Wikipediaは103歳とあります。

きれいな歌声をのこしていただき、ありがとうございます、天才少女歌手、平井英子さま、ほんとうにありがとうございます。あなたの歌声はこの日本に永遠、永久につたえられてゆきます。ありがとうございます。

あ、今、現実に「あめふり」、5月、雨音が屋根をたたいています。

104歳天寿まっとうの天才少女歌手ー平井英子

テレビが平井英子さん訃報をつたえていました。

“天才少女歌手”として活躍した平井英子 (本名:鈴木英)さんが、今年2月に亡くなっていたことが分かった。104歳だった。
平井さんは今年2月21日に、老衰で亡くなった。
東京の歯科医の家に生まれ、1928年にレコード会社「日本ビクター(現・ビクターエンタテインメント)」の専属歌手第1号となる。童謡歌手として、「アメフリ」「てるてる坊主」「朧月夜」などを残した。
その後、童謡歌手を卒業。ハイティーンとなって武蔵野音楽学校を卒業してからは、「お嬢さん」や「口笛ふいて」などの流行歌や外国曲のカバーなども披露した。20代で引退し、表舞台から姿を消すまでの10年あまりの間に多くの名曲を残した。

テレ朝ニュース[2021/05/14 18:48]

平井英子 - 汽車

童謡ジャズ
汽車
獨唱:平井英子
演奏:アーネスト・カアイ・ジャズバンド
昭和5年録音

今は山の中、今は浜~ 今は鉄橋わたるぞと♬ 歌詞 https://www.uta-net.com/song/46405/

あめふり(平井英子)

あめふり
昭和06年(1931年) 童謡
作詞:北原白秋
作曲:中山晋平

あめあめふれふれ かあさんが じゃのめでおむかえ
うれしいな ピッチピッチ チャップチャプ ♬

歌詞 https://www.uta-net.com/song/13990/

てるてる坊主(平井英子)21
てるてる坊主 平井英子

てるてる坊主
独唱 平井英子 伴奏 中山晋平
浅原鏡村作謡 中山晋平作曲

てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ♬
歌詞 https://www.uta-net.com/song/46446/

茶目子の一日(上)平井英子

作曲家・佐々紅華のオペレッタ(歌劇)。

茶目子:平井英子、お母さん:高井ルビー、先生&弁士:二村定一の歌唱、ビクター管弦楽団による昭和四年の演奏。

夜が明けた 夜が明けた 夜が明けた 夜が明けた
夜が明けた 夜が明けた
もう夜が明けた ♬

歌詞:https://j-lyric.net/artist/a04d9a0/l0198d8.html

104歳ー平井英子さんプロフィール

平井 英子(ひらい ひでこ、1918年1月13日 – 2021年2月21日は、大正末期から昭和初期にかけて童謡のジャンルで活躍した日本の歌手。出生名は林 秀(はやし ひで)、現姓名は鈴木 英子(すずき ひでこ)。旧姓は平井。

出生名 林 秀(はやし ひで)
生誕 1918年1月13日
出身地  東京府東京市四谷区(現:東京都新宿区)
死没 2021年2月21日(104歳没)
ジャンル 童謡
職業 歌手
担当楽器 歌
レーベル 日本コロムビア
ビクター

Wikipedia参照・引用

東京府東京市四谷区(現:東京都新宿区)塩町出身。7歳で幸田露伴の妹幸田延子に師事しピアノを学ぶ。その頃、作曲家の中山晋平の門下生となり、1928年(昭和3年)、ニッポノホン(日本コロムビアの前身)から童謡歌手としてデビューする。ビクターの創立と同時に専属の童謡歌手となる。

野口雨情・中山晋平のコンビによって作曲・作詞された童謡を主に歌っていたが、佐々紅華が作詞・作曲した楽曲も歌い、本人談によると、一番「かわいがって頂いた」のは紅華だという。紅華の曲は全部好きだが、中でも1929年(昭和4年)に発表され、大ヒットしたお伽歌劇「茶目子の一日」が特にお気に入りだという。

1934年(昭和9年)に変声期のため童謡歌手としての活動を終え、武蔵野音楽学校声楽科に入学する。卒業後の1936年(昭和11年)に流行歌手として再デビューし、喜劇俳優の岸井明とのデュエットによる「煙草屋の娘」が大ヒット。20代半ばの頃、ビクターに所属していた専属の作曲家・鈴木静一と結婚し、歌手活動を引退した。

音楽界を引退した後は市井の人として暮らし、表舞台に出ることも全くなくなった為、長らく消息不明の状況が続いたが、2014年にビクターエンタテインメントが平井のベストアルバム『スター☆デラックス 平井英子』を制作・発売するにあたって所在確認を行ったところ、2014年10月時点で健在であることが明らかとなった。

東京都内の老人ホームに入居していたが、2021年2月21日17時30分、老衰のため104歳で死去したことが2021年5月13日に報じられた。

(Wikipedia)

まとめ

10歳で天才少女としてデビュー、16歳で童謡歌手を終える。

18歳で流行歌手として再デビュー、20代半ばで結婚、歌手引退・・・。

・・・以来、表舞台から完全に消えて市井の人として暮らした。山口百恵さん、みたい! というか山口百恵さんが平井英子さんに追随したのだとおもえます。

少女歌手、平井英子さんの偉大さが歌声として、この日本に、永久(とわ)に遺ります。

103歳の生涯をしずかにしずかに回想しながら虹の橋を渡られたとおもいます。

ご冥福をお祈りいたします。

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