週刊文春の『三浦春馬からの手紙』で涙ボロボロ・全文紹介!

三浦春馬さんが亡くなって二ヶ月がすぎました。あの強烈なショックからなかなか抜け出せないも人もたくさんいます。彼が遺したものはいったい何なのか・・・。

三浦春馬から「生きてゆく為の学び」と直筆の手紙

週刊文春10月8日号が『三浦春馬からの手紙』と題した特集記事を掲載しました。

広島の梶矢文昭さん(81)へ宛てた三浦春馬さんからの手紙です。

梶矢さんは6歳で広島で被爆しました。爆心地から1.8キロのところで白い閃光を目にし、瓦礫の下から無我夢中で這い出し、逃れた。直前まで一緒だった姉は瓦礫の下敷きになり落命します。その後、広島大学を卒業し教師となった梶矢さんは原爆の“語り部”となります。

その梶谷さんと妻・輝實(てるみ)さんの自宅へ三浦春馬さんが訪れます。2017年3月のことでした。雑誌プラスアクト (+act.) 連載の「日本製」広島の取材です。その後日に届いた梶矢文昭さんへのお礼の手紙です。

梶矢さん宅の郵便受けに一通の手紙が届いた。差出人「三浦春馬」の名に驚いて封を開けると、そこには直筆でこう綴られていた。

先日は貴重なお話と時間を頂き本当に有難うございました。

最後に奥様から呼吸が苦しいながらも「自分を信じてしっかり生きて行って下さい」という言葉を頂きその言葉が今でもしっかりと自分の胸に刻まれています。

励ますどころか、逆にこちらが励まされ俳優として歩んでいく上で背筋を正された想いです。

東京では今まさに桜が満開です。きっと奥様も一緒に花見を楽しんで下さっていると想いを馳せました。

梶矢さんと皆さんとの時間を家族に話させて貰ったのですが人として大切な経験を頂けたねと…広島の当時の話を家族で分かち合いました。

母は、母の祖父××さんの話が梶矢さんや皆さんに伝わったということは、××さんが当時生きていたという証が繋ったということだから、××さんもきっと喜こんでくれているよと言っていました。

こうしてまずは家族から忘れてはいけないことを繋げていくことがどんなに大切か身を持って感じました。

人として生きる為に大きな学びの機会を与えて下さり本当に有難うございました。またお会い出来る日を楽しみに精進して参ります。

出典:週刊文春10月8日号。

結びの二行・・・

人として生きる為に大きな学びの機会を与えて下さり本当に有難うございました。またお会い出来る日を楽しみに精進して参ります。

・・・こころに響きます。

なかなか、こうは書けません。きらびやかな芸能界でスターとしての輝ける位置にある人とは思えないくらい素直な、正直な、誠実な、姿勢が文章の綾綾(あや、あや。言い回し)のすみずみに見えます。

(写真は文春オンライン有料版より引用。)

癌末期で入院中だった妻・輝實(てるみ)さんは俳優三浦春馬さんに会いたくて、「うちゃあ死んでもええけえ、会いたい」と病院から一時帰宅していました。

映画『永遠の0』に泣いた原爆体験語り部、梶矢夫妻との絆

梶矢夫妻は映画『永遠の0』を観て以来の三浦春馬ファンです。

零戦搭乗員の特攻で戦死した祖父(岡田准一)と家族、仲間たちの物語を、現代を生きる青年が辿り、自身も成長を遂げていく物語でこの青年役を熱演したのが、当時23歳の三浦春馬さんです。夫妻は映画館でボロボロ涙を流し泣いたそうです。

・・・「あなたの映画観ました。『永遠の0』は素晴らしかったです。これからも、頑張るんですよ」 「大丈夫です。頑張りましょう。頑張って下さい」  二人は見つめ合い、手を取り合いながら言葉を交わした。・・・と文春記者は書いています。

自宅を訪れてくれた”本物”に輝實(てるみ)さんは繰り返し「ありがとう」を言います。

それから、

三日後、「ありがとう」を4回つぶやきこの世から旅立たれました。

三浦春馬さんがこの広島訪問取材で残していったものは 感動 です。

2020年7月、旅立ってしまった彼が遺したものは感動です。感動という鼓(つづみ)はきれいな澄んだ打ち手が打つときれいな音という感動を周囲にもたらします。

写真は三浦春馬さん著書の最後となった本『 日本製+Documentary PHOTO BOOK 2019-2020 』の表紙です。

この本のAmazonレビューに印象にのこる一文がありました。そのまま引用します。

女性に人気の芸能人の多くに、自分のルックスや人気に対する自信があると、立ち居振る舞いから感じることがあります。人に見られる仕事だから、そんな自意識があって当然だろうけど、三浦春馬だけはそれを感じたことがないのは私だけでしょうか?注目を集め始めた十代の時から、ひとかけらの自惚れも感じられなくて、芸能人である前に人として浮わついていない、良い意味での重みみたいな、凛としたものを感じて印象に残る人でした。

その重みは物事に真摯に向き合う姿勢があったからなんだろうと、今は思います。自分と向き合い努力できる人は、結果につながっても、それが自然なことと知っているから、驕ったり気取ったりしない。嫌味のない謙虚さがあって、まだどこか自信無さげに見えるときがあるくらい。
ルックスの良い芸能人はごまんといるけど、彼はうわべの格好良さじゃない。チャーミングさもあり、人としての魅力に溢れていました。過去形で書くのが辛い。。

ここ数年の生気を失くした目の表情を、ファンは気付いていたと思います。何かがおかしいと…。身近な人たちは気付いていなかったのか。一体、何をしていたの!!?

ちょっとでも不真面目でまっすぐじゃなかったら、もっと楽に生きられたかもしれないと思うと、一層悲しい。悔しい。

※本のレビューでなくてごめんなさい。

※四十九日を迎えた9/4、事務所発表コメントの一部 ↓

「三浦さんに関する事務所の利益は「三浦春馬基金(仮称)を2020年内に立ち上げ、本人の遺志を継ぎ、これまで携わってきた『Act Against AIDS(現ACT AGAINST ANYTHING)』の活動を通し、ラオフレンズ小児病院を始めとする、あらゆる困難に立ち向かう人々への寄付・支援に充てさせていただきます」

数年前、20代半ばの若さで利他的に生きたいと語っていた春馬さん、あなたが望んでいた事が確かな形になりますよ。

まとめ

今回は『三浦春馬さんからの手紙』を紹介し、彼が遺したこころの訴えを探してみました。

芸能人である前に人として浮わついていない、良い意味での重みみたいな、凛としたものを感じて印象に残る人でした。

感じてこころが反響する、

感動するチカラ、

感じるべきものに感じる、

そういうきれいな感動のきれいな反響を置いて逝ったと思います。

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