女優ナタリー・ドロン死去、死因は?今と昔【画像】アラン・ドロンは?

写真:ナタリー・ドロン=1972年=31歳

こんな美女があなたに頬を寄せたら・・・?失神、それとも。

この深く透き通るみどり色の眼光に婚約者がいた”いい男の代表”アラン・ドロン(現、85歳)も痺れ・・結婚・・渡米・・離婚・・ナタリー・ドロンの死去を伝えたのはアラン・ドロンとの子供、アントニーアラン(46歳)です。

世界一と謳われた美人、フランス生まれの女優ナタリー・ドロンさん死去。79歳でした。

ナタリー・ドロン死因は病気で進行性の速い癌だった。

アントニーアランは「母はけさ11時、家族と友人にみとられパリで亡くなった」と説明。ナタリーさんは非常に進行の速いがんを患っていた・・と伝えています。

ナタリー・ドロン画像。今と昔。

元の夫、アラン・ドロンは、彼女の歴史は私の歴史だ、ナタリー・ドロンは今も私のなかにいる、と語ったそうです。

ナタリー・ドロン(1977年・33歳)

ナタリー・ドロン。カンヌ(1993年5月・52歳)。(AFP=時事)

ナタリー・ドロン(2010年69歳 テレビ出演)

・・・・・

ナタリー・ドロン(1969年・28歳)

想い出はつきない?あの頃にもどりたい・・それは無理としても・・いえいえ、想いは駆けます、どこまでも。ネット上ではナタリー・ドロンを想いながら昔、過去のじぶんを慈しむ声が続々です。

昔ロードショーとスクリーンと言う雑誌があった。
調べてみたら、ロードショーは廃刊、スクリーンのみ存続していた。

ナタリードロン…懐かしい…

アランドロンの太陽がいっぱいも大好きでした…

若い世代の方はあまり馴染みがないと思いますが、
元夫のアラン・ドロンはフランスを代表する映画俳優。
女性はその瞳に見つめられただけで妊娠した、と言われるほどの美男子です。

『個人教授』をドキドキしながら観た記憶がよみがえります。
フランシス・レイの美しいメロディも大好きでした。
ルノー・ベルレーも当時は人気がありましたね。

一言で言えば、セクシーな女優だった。
あの日あの時あの時代。
ナタリードロン、
ジョアンナシムカス、
ドミニクサンダ。
このあたりが映画雑誌ロードショーやスクリーンの
人気女優ベスト10のフランス女優だった。
男優では、
アランドロン、チャールズブロンソン(ブロンソンもフランス映画にも出ていた)、ジャンポールベルモンド、
そして、青春男優では、
ルノベルレーが圧倒的に人気があった。
日本ではジャンルイトランティアンは、
フランスと違い人気が出なかった。
私は、フランス映画「さらば夏の日」の
フランス人ではないがジャネットアグランが好きだった。
ナタリードロンでは、
サムライ、個人教授が有名だが、
サムライは、監督ジャンピエールメルビルがすばらしく、すさまじい映画だった。
アランドロン、ナタリードロン共に、
裏街道の育ちの匂いがする育ちのせいか、
似た匂いのする共演であった。
安らかに。

ちょっとショック。演技がどうこうよりも、とにかく顔が好きだった。思春期の少年なら、誰もが経験する成熟した女性への憧れ。個人教授なんて、まさにその思いを映像にしたような作品。切ない音楽とともに、少年だった頃の自分がよみがえってくる。

高校時代に見たフランス映画、個人教授、が凄く印象に残っています。大人の女性に憧れて、憧れて、男と女の葛藤に迷い、年上の女性を好きになってしまう。音楽と、2人がスキー場で抱き合うシーンは、今でも忘れない。忘れられません。心にずっと留めておきます

やっぱりこの人といえば『個人授業』

主人公が魅かれる年上の女性役。子供ながらこんな女性と知り合えたらっていう憧れがあったし、映画の舞台になったパリがまたすごくオシャレだったなぁ。ドミニク・サンダのようなフランス女優さんならではのどこか影のある雰囲気にくわえ、今でいうクロエ・モレッツのような柔らかさがあって映画見た後にドロンの奥さんだったことを知ったときは、「さすが女性大好きなドロン、抜け目ないなぁ」とさえ感じた。

日本上映の作品が少ないだけに、いまさらながら彼女のスクリーンに映る姿がまた見たくなった。決して演技派ではなかったけれど、それでも彼女の柔らかい魅力はファンの記憶に永遠に残ると思う。

昔、子供の頃、本屋でスクリーンって雑誌に良く出ていたなー!まーなんと言うか思春期の少年には刺激的だった!本屋の主人によく怒られた!

まとめ

ああ~あ~、世界一の美女ナタリー・ドロンと世界一美男アラン・ドロンですよ、これは!(1967年・ナタリー・ドロン28歳。アラン・ドロン32歳)です。

ナタリー・ドロンさんのご冥福をお祈りします。

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