山本寛斎(76歳)さんが死去されました。死因は急性骨髄性白血病です。熱く熱く、燃え盛るような熱度100%の人生を休みなく疾走されました。安らかな眠りにつかれることを祈ります。ありがとうございました。
娘さんの女優、山本未來さん(45歳)が次のようなコメントをインスタグラムで報告されました。以下、全文です。
父、山本寛齋は去る7月21日、 私を含め家族が看取る中、安らかに76歳にてこの世を旅立ちました。
私にとって、父はエネルギッシュで明るいことはもとより、穏やかで、寛大で、人懐っこく、コミュニケーションを大切にし、無償の愛を与えてくれた存在でした。
また人生を通して「時に折れることがあろうと、常に前向きに、果敢に挑戦し続けることが明るい未来に繋がる」ということを教えてくれました。
生前中の父・山本寛齋と関わってくださった関係者の皆さま、医療関係者の皆さま、応援してくださった皆さまへ心より感謝を申し上げます。
今後も女優業を継続する傍ら、
2020年、年初より加わりました山本寛齋率いる「KANSAI SUPER STUDIO」にて父・寛齋の「元気」をスタッフと共に継承していきたいと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。
写真:山本未來さん。
・・・無償の愛を与えてくれた・・・かわいい娘さんに言ってもらいうれし泣きしながら、それでも笑っているような、そんな気がします。
家族が看取る中、山本寛斎さんは安らかにこの世を旅立った。
山本寛斎さんですから、旅立ちの前に現れる走馬灯のように巡る人生のいろいろには、湿っぽい後悔や慚愧のおもいはないと思います。おかしかった、おもしろかった、と、大口全開で呵々大笑されたでしょうね。
言葉の端々(はしはし)にまで瑞々(みずみず)しい感性が噴出していました。
たとえば、冒頭写真にあるような、
山本寛斎・名言。みずみずしい熱度100%の言葉
「世界クラスはみんな異常ですよ。むしろ正常ではダメなんです」
その他、記憶に残る熱度100%言葉を、どうぞ。
「欲しいものはメチャクチャ欲しがる。何が何でも自分のものにする」
「美しいものを見極める目は常に磨いておきたい」
「いつもエンジンがガンガンにかかっている状態だと、直感も鋭くなる」
「小さくまとまるな。例えば、旅に出なさい」
「人生1回。無理して嫌なことなんてやる必要はない」
「未来に前例などない。迷ったら新しいほうを選ぼう」
「必ず道はある。最後まであきらめない人に未来は開かれる」
「人生には浮き沈みがある。だから退屈しない」
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熱い言葉が人人を動かします。その熱いエネルギーでファッションやイベントで世界を動かしてきたのです。
華々しい経歴の一つはパフォーミング・アートという独自のイベント。
パフォーミング・アート
山本寛斎さんは「KANSAI SUPER SHOW」という名称で、ファッション、音楽、舞台芸術を混合したパフォーミング・アートのイベントを開催してきました。
1993年:「ハロー!! ロシア」(ロシア・モスクワ 赤の広場にて)
1995年:「ハロー!! ベトナム」(ベトナム・ハノイ・レーニン公園・バイマウ湖上にて)
1997年:「ハロー!! インディア」(インド・ニューデリー ジャワハルラール・ネルー・スタジアムにて)
2000年:「ハロージャパン・ハロー21!! インぎふ」(出演:山本未來、松田美由紀、笑福亭鶴瓶など。岐阜・長良川競技場にて)
2001年:「やまぐち元気伝説」(山口きらら博・スーパーテーマ館にて)
2004年:「アボルダージュ -接舷攻撃-」(出演:哀川翔、上戸彩、三池崇史、小池栄子、山本未來、椎名桔平、千原兄弟など。日本武道館にて)
2007年:「太陽の船」(出演:松岡昌宏、上戸彩、アントニオ猪木、工藤夕貴、長渕剛など。東京ドームにて)
2009年:「いのちの祭り -FESTIVAL OF LIFE-」(インドネシア・バリ島ガルーダ・ウィシュヌ・クンチャナ・カルチュラルパークにて)
2010年:「七人の侍」(東京・有明コロシアムにて)
2014年10月11日:「ハロー!! イスタンブール」(トルコ・イスタンブール エスマ・スルタン・マンションにて)
(出典:Wikipedia)
もしかしたら、天国でもイベントを企画するかも・・・! 見たいですね、参加したい!?