40年前山口県山口駐屯地射撃場で銃乱射自衛隊員は不起訴無罪【画像]】

18歳の見習い自衛官・・その場で処分・・してほしかった、と不謹慎ながら卒爾ながら怒りが噴射しました。40年前にも駐屯地射撃場で銃を乱射しジープで逃走した隊員(21)は心神喪失状態で不起訴無罪でした。繰り返すのか?

40年前の事件を振り返ります。

40年前に山口で64式小銃乱射 4人を死傷させ山中に逃走

1984年2月27日午前、山口県山口市の陸上自衛隊山口駐屯地山口射撃場で、射撃訓練中の2等陸士の男(21)が、いきなり持っていた銃を発砲。隊員4人にけがをさせ、車で逃走しました。 TBS

撃たれた隊員一人は翌日に死亡

男は車を乗り捨てて付近の山に逃げ込みましたが、事件発生から5時間後に逮捕されました。撃たれた隊員のうち、1人は翌日死亡しました。

犯人は心神喪失と認定され不起訴無罪でした

男は事件当時、心神喪失状態だったとされ、不起訴処分となりました。

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↑ 当時のTBS報道より引用。

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Wikipediaがこの事件をまとめています。

事件の概要

1984年(昭和59年)2月27日昼ごろ、陸上自衛隊山口駐屯地近傍にある山口射撃場で、射撃訓練を受けていた第17普通科連隊所属の60人の隊員のうち、左端にいた二等陸士A(当時21歳)が振り向きざまに、持っていた64式小銃を居並ぶ自衛官に向けて乱射した。結果、4人が重軽傷を負い、そのうち1人は翌日死亡した[1][2]

Aは小銃を携帯したまま、ジープで逃走した[1]。ただちに、自衛隊や山口県警察は厳戒態勢をとり、午後4時40分に山口市内で身柄を拘束した。

犯人の背景

Aは、「日頃から馬鹿にされて鬱屈が溜まっていた。『どうにでもなれ』と思って射った」と証言動機を語ったが、重度のうつ病による心神喪失状態にあったとして起訴されず、精神病院に入院することとなった。Aは1983年6月に入隊したが、当初自衛隊は入隊時の知能テストの成績も優秀であり、採用には問題なかったと主張した。

Aは大阪府内の私立大学中退後、1981年9月に滋賀県大津市の第109教育大隊に入隊し、その後姫路に配属されていた。しかし、1982年7月に無断欠勤し、関西方面を遊び歩いたとして6日間の停職処分を受け、依願退職した前歴があった。

この事件で、Aは懲戒免職処分を受けたほか、夏目晴雄防衛事務次官が訓戒処分となったのをはじめ、自衛隊上層部24人が減給から注意までの処分を受けた。

備考

Aの直属の上官の二等陸曹(当時36歳)は、前年暮れからAの奇妙な行動に気づいており、中隊、小隊に早くなじめるよう激励していたが、自衛隊上層部とともに訓戒処分を受けた。この二等陸曹は、処分を受けた4ヵ月後の7月3日に自殺した。

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まとめ

殺人者が不起訴無罪になるような前例にはいらだちと怒りが湧きたちます。精神病院に2年間入院歴のある知人が言っています・・・最高刑に処すべき。不起訴なんてけしからん。犯罪者をかばうことで精神病への偏見差別が増える・・・と。

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