【隠し剣 鬼の爪】ネタバレあらすじ感想。ラストが原作小説と違う?

藤沢周平・原作小説と映画「隠し剣 鬼の爪」との比較、違い。

これは、すごい! 原作を超えた!?・・・映画「隠し剣鬼の爪」を観てそう思いました。むろん原作の味わい深さは格別です。でも、映画のラストまぎわで観せた”鬼の爪”・・細い一本の千枚通しのような”隠し剣”ですれ違いざまに心の臓を一突きで絶命させる・・・わ、必殺仕掛人だ、と息をのみました。映像のすごみが表現されています、さすがです、映画です、山田洋次監督、楽しませてくれます。

映画「隠し剣鬼の爪」は山田洋次監督の藤沢周平原作時代劇三部作の第二部です。

時代劇第一作の「たそがれ清兵衛」で監督は時代劇の”時代”を丹念に丁寧に観せてくれました。

第二作の「隠し剣鬼の爪」は、画像が明るくなります。

そして、その明るい画面の中で、男とおんなの恋と葛藤、むなしさや切なさ、愁(うれい)、さらには時代のシステム(武家社会)という公的なものから裏切られた悔しさをくっきり浮き上がらせて観せてくれます。時代そのものも描かれていますが、より”劇(ドラマ)”にフォーカスされているように思いました。

「隠し剣鬼の爪」・永瀬正敏、松たか子、小澤征悦、緒形拳、高島礼子、倍賞千恵子・・

豪華俳優がずらり揃って圧巻・・・すごいです。

片桐宗蔵(永瀬正敏)、きえ(松たか子)、島田左門(吉岡秀隆)、狭間弥市郎(小澤征悦)、島田志乃(田畑智子)、家老・堀将監(緒形拳)、狭間桂(高島礼子)、片桐吟(倍賞千恵子)

・・・ネタバレ「隠し剣鬼の爪」あらすじ。できるだけ短く・・

きえ(松たか子)は片桐家の奉公人でしたが商家に嫁ぎます。そのきえが婚家の非道な虐待で重病に伏します。片桐宗蔵(永瀬正敏)が婚家に乗り込み、きえを背負って救出、連れ戻します。片桐宗蔵(永瀬正敏)と道場同門で旧友の狭間弥市郎(小澤征悦)が謀反容疑で投獄されるが脱獄します。

家老・堀将監(緒形拳)が片桐宗蔵(永瀬正敏)に狭間弥市郎(小澤征悦)を斬れと藩命を申し渡しすます。死闘のすえ狭間弥市郎(小澤征悦)が絶命。狭間の妻・狭間桂(高島礼子)は夫の命乞いで家老・堀将監(緒形拳)に体をつかいますが裏切られ、自害します。

片桐宗蔵(永瀬正敏)は隠し剣鬼の爪で家老・堀将監(緒形拳)をひと差し。血の一滴もながさず家老を葬り、家禄を返上、武士を捨て、きえ(松たか子)とともに旅立ちます。

↑ こう纏(まと)めて書くと付け加えることは何もないように思えてしまいます。

映画・隠し剣鬼の爪・は藤沢周平短編小説の「隠し剣鬼の爪」、「雪あかり」、「邪剣龍尾返し」を一本に纏めています。ストーリの主軸は「隠し剣鬼の爪」であり、きえ(松たか子)を婚家から救出するのは「雪あかり」をつかっています。「邪剣龍尾返し」は死闘シーンのみの使用です。

ラスト、プロポーズシーンは映画が原作をはるかに凌いでいます!

上記ネタバレあらすじのほとんどが「隠し剣鬼の爪」に出てきます。

ただし冒頭で笑わせる武士への英国式歩兵訓練は原作にはありません。

またラストシーン・・・きえに求婚は原作では片桐家の部屋の中ですが、映画では、きえの実家(農家)近くの見晴らしのいい野外です。もちろん映画のほうが空間的ひろがりがあってワクワク度合いが増します。

青い空にたなびく白い雲、草のみどり色、、、。

宗蔵が思いを伝えます。

「わしは禄を返上して町人になった。 武士はもうほとほと嫌気がさしたんじゃ。

蝦夷に行こうと思う。 一緒に行ってくれんか?

きえがいれば、どんな辛い事にも耐えられる」

「何もおかしいことはない。 わしがお前を好きで、

きえがわしを好きならば、何の問題もない」

驚くきえが・・・答えます。

きえ「それは、旦那はんのご命令でがんすか?」

宗蔵「そ、そうじゃ。 俺の命令じゃ」

きえ「じゃあ、仕方がないでがんすね」

・・・・・・

このステキなやりとりは映画オリジナルです。「それは、旦那はんのご命令でがんすか?」・・この名セリフが印象につよく残りますね。言われてみたい、言ってみたい、言葉だと思いました。

原作では家禄も返上しません。下級武士ですが、武士のままです。・・その夜、宗蔵は食事が済むと、きえに、お前も茶を飲め、と言った。

「いろいろ考えたが、きえを嫁にもらうのが一番いいようだ」

うわ~ぉ、お茶飲んで、プロポーズ。リアルといえばリアルですね。「知っているとおりの軽輩の家だから、やかましいことはいらん」

きえがいまにも泣き出しそうな顔で、「旦那さま・・私には、親の決めた人がおります」と打ち明けますが、宗蔵はきえを、他の男にやることなど出来ないと思った。

「ま、わしにまかせろ」

お!!! 「わしにまかせろ」!!! これも言ってみたい、言われてみたい言葉かもしれませんが・・・。

広大な自然を背景にしたシーンの映画のほうが勝(まさ)っていますね。

隠し剣の現物は・・原作では匕首(あいくち)と書かれています。

この映画のクライマックス、起承転結の「転」は 隠し剣 での暗殺シーンです。それまでは表(おもて)、公(おおやけ)での闘いでしたが、まさしく一転します。美酒をあおり美女をはべらせ旧友狭間の妻をもて遊び自害させても、けらけら笑う家老・堀将監(緒形拳)に平伏している公的な自分への怒りもあります。

武士としての気位や誇りを土台とした行動や感情が提灯の火を吹き消したように消えます。

それまで押し殺していた私憤が憤怒の伏流水となり流れ、吹き上がる出口を求めます。

旧友を斬り殺し血まみれにし、その妻まで殺した(喉を斬っての自害)・・・。公への忠誠がぷつりと切れます。私的な怒り、しずかな憤怒となり、公的な剣、日本刀ではなく、隠し剣での必殺殺意の登場です。

原作小説では、こうです。隠し剣は匕首(あいくち)。

廊下の端に、堀が姿を現したとき、宗蔵もこちらから歩き出した。宗蔵が腰をかがめて、二人は擦れ違った。堀は立ち止まって、擦れ違った宗蔵を見ようとしたようだった。少し首をねじむけた姿勢のまま、堀は不意に膝を折り、前にのめった。

一瞬の技です。

匕首(あいくち)は堀の胸を刺し、擦れ違ったときには、懐の中の鞘(さや)にすべりこんでいる。刃の上に一滴の血痕も残さないのが、秘剣の作法だった。

原作小説は過剰のない短文での描写です。家老の絶命です。

映画では短刀の鍔(つば)に隠された千枚通しのような秘剣です。

上3葉の写真は私的憤怒が標的にむかう心根(こころね)を現しています。的(まと)は家老・堀将監(緒形拳)の心臓です。

映画版では目的を達した「隠し剣」を狭間弥市郎夫妻の墓地に埋めて去ります。

写真は狭間夫妻の墓地。

武家という身分も葬りますのでもう二度と手にすることはない。海坂(うなさか)藩にもどることもないでしょうね。

「隠し剣鬼の爪」映画デメリット? でも嫌いな人も、ホントは好き?!

松たか子がきれいすぎて奉公人にみえないとか、(たしかに^^)、死闘シーンで観せた一瞬相手に背中を見せる「龍尾返し」のような卑怯な武士にあるまじき戦法をつかってはいかん、英国式歩兵訓練などで武士を笑い者にするな、などなどの批判もあるようですが、批判の内容が具体的で詳細です。批判派の方もけっこう熱心にご覧になっていますね。

ま、

嫌いきらいも好きなうちだと思います。

映画は小説よりもたくさんの人人に観てもらわないと成り立たない興行(ビジネス)でもあります。特定の数少ないコアなファンにむけては創られていないのですから、大目に、堪忍してあげてください、ね。

以上です、ではまた。

あっ、追記!

異様な迫力、隠し剣の師匠役・ダンサー?田中泯(たなかみん)。

写真:隠し剣鬼の爪 師匠

度肝を抜かれたのは棒切れ木刀での素振りトレーニングです。

写真の姿勢から連続スクワット跳びしながら素振りの迫力にはたまげました。そして、

本気で来いと伝え、

くるりと背を向けます。このゆるんだ背中がミソです。相手にそのゆるみが伝わった、その気配で相手の胴を一気に祓い斬るのです。

0コンマ、00、緊張極点のなかの必殺剣・・・「龍尾返し」です。むろん、0コンマ、00誤ればぶった切られます。この技の基本は”逃げる”にあります。師匠田中泯が伝えます。

相手が踏み込めば逃げる。それを繰り返す。相手はいらいらしてくる。大事なのは逃げるのは体で、心ではない。心はいつも攻め続ける。

以上です。では・・・また。

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