木村拓哉の映画【武士の一分】原作藤沢周平「盲目剣谺返し」との微妙な違い

盲目の剣士・木村拓哉、その妻・檀れいの豪華共演です。そこへプラス、笹野高史、桃井かおり、坂東三津五郎、緒形拳、小林稔侍など大物俳優がずらり登場します。

映画「武士の一分」は山田洋次監督の藤沢周平原作時代劇三部作の完結編です。興行収入、40億円!すごい。

【武士の一分】の「一分」(いちぶん)とは、命をかけて守りたいもの。

↑写真の木村拓哉の”目”をご覧ください。開眼しているのに瞳孔が停止、うごかない。視界には光はなく暗黒でしかないのを演じています。目の演技が圧巻、すごい。

原作は藤沢周平短編小説集『隠し剣秋風抄』に収録の『盲目剣谺返し』(もうもくけん こだまがえし)です。

この映画の成功は「盲目剣谺返し」をままタイトルにせず、「武士の一分」に変えたところから始まっています。一分(いちぶん)とは、面目・譲れないもの、ですね。

第一部「たそがれ清兵衛」では清兵衛という男の生き方に興味がそそがれます。第二部「隠し剣鬼の爪」は、秘剣とは、にドキドキします。

この第三部「武士の一分」では前二作とくらべて、より抽象的です。人として譲れないもの、命を賭けてでも守りたいものは・・・を問いかけてきます。これが木村拓哉という超人気アイドルを起用したこととうまくマッチングしていますね。時代劇ファンでもない人々にも観てほしいのです。脚本の初刷のタイトルは「愛妻記」だったそうですからね。

ところで、

このタイトル「武士の一分」の「一分」を”いっぷん”とか”いちぶ”と読んでしまう方々もおられるようで・・・

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先日、道を歩いていると、前に、女性が二人歩きながら話していました。
大きい声だったので、自然に耳に飛び込んできました。
「こないだ、『ブシのイップン』を見ましてん。良かったヮ。おくさんは見はった?」
「私はまだ見てしませんねん。奥さん、あれねぇ『ブシのイチブ』言いますねん」
「あ、そう・・・・・・・・・・・・。
教えてもろて、良かったヮ。おおきに。ほかの人に、言うてたら恥かくところ、やったヮ。
『イップン』やと、ばっかり思うてましたヮ。」

大阪のおばちゃん二人の、ごくありふれた、至極一般的な会話である。
聞いていた私は、もう少しのところで、「お二人さん、どちらも、間違いであり、
正しくは『ブシのイチブン』ですョ」と教えてあげたかったが、
我慢しました。。 https://blog.goo.ne.jp/takedatakedatakeda/e/b6a359d958c04fe338017c30b33a4ee5

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よくよく見れば”いちぶん”とルビがふってあります。

写真の小鳥二羽、気になります。↑ 。仲よく共に生きる夫妻をあらわしているのかな? そんな夫妻でも譲れない心があるのかな?

武士の一分・いちぶん・譲らない心。と、あります。が、なぜかルビが目に入りにくいのです。おそらく一分(いちぶん)という言葉が日常生活ではまったく使用されていないからだと思います。加えて「一分」は二文字で総画数が1+4と少なく、するりと通過してしまいます。でも、それが印象的な効果をもたらしています。左脳(論理、理屈)を使わせない効果です。

藤沢周平原作では文中でただ一度しかこの「武士の一分」の文字は出てきません。

小説のラスト近くです。目明きの相手に苦戦し、ーーこの勝負、負けたか。そう思ったときです。文庫本「隠し剣秋風抄」377頁です。

だが、狼狽はすぐに静まった。勝つことがすべてではなかった。武士の一分が立てばそれでよい。敵はいずれ仕かけて来るだろう。生死は問わず、そのときが勝負だった。

短編とはいえ縷縷(るる。多い)つづく文脈の中からこの「武士の一分」を採りだした眼力はさすがですね。

決闘シーン、原作「谺返し」と映画「武士の一分」では少し異なります。

武士の一分が立てればよい。生死は問わず。

木部道場の師匠(緒形拳)が伝えた言葉は、

『倶(とも)ニ死スルヲ以テ、心ト為ス。勝チハ厥(そ)ノ中ニ在リ』。「マタ必死スナワチ生クルナリ」。

・・・本気で死ぬ・・・気になる。 必死の死は生きるということ。

この決闘シーン、原作では相手は馬柵(うませ。馬を囲っておく柵)に乗って気配を消し、宙空から一撃を見舞います。映画では屋根の上からです。

映画では相手の左腕を斬り、動けなくし、とどめは刺さない。後日、切腹自裁(自決)させます。原作では馬柵の上から仕かけた相手を一撃で頸動脈を斬り絶命させます

どちらがよいかは、どちらでもよい、としか言えませんね。個人的には、妻を苦しめた相手への私憤の爆発であるその場で絶命させるほうが溜飲がさがるので好きです。が、映画は単なる私憤ではないことを現したかったのかもしれません。武士の情け、ですね。相手にも切腹という「武士の一分」を与える。武士は「公」としての存在です。

ネタバレあらすじは、原作小説と映画、わずかな差しかありません。

第一部の映画「たそがれ清兵衛」は、藤沢周平原作小説の「たそがれ清兵衛」「祝い人助八」(ほいとにんすけはち)「竹光始末」の3つの短編小説を合わせて一本のストーリーに纏(まと)めあげていました。また、第二部「隠し剣鬼の爪」は、藤沢周平短編小説の「隠し剣鬼の爪」、「雪あかり」、「邪剣龍尾返し」の3つを一本に纏めています。

関連記事:「たそがれ清兵衛」https://tomo3koko.com/fujisawa-tasogareseibei/
「隠し剣鬼の爪」https://tomo3koko.com/fujisawa-kakusiken-oninotume/

完結編のこの「武士の一分」は短編小説『盲目剣谺返し』一つですから、物語、あらすじは複雑ではありません。まっすぐ単純な直球です。

下級武士・三村新之丞(木村拓哉)は、妻の加世(檀れい)と中間・ちゅうげん・武家奉公人の徳平(笹野高史)と暮らしていました。藩主の毒見役の際に新之丞は体の異常を訴えて倒れ、失明します。役職を解かれ、今後の生活に不安が募り、加世は顔見知りの上級武士・島田藤弥(坂東三津五郎)に助けを求めます。三村家の家名は存続し三十石の家禄もそのままの沙汰が下されますが・・・島田藤弥(坂東三津五郎)は加世を呼び出し、不貞を強要していた。新之丞は加世に離縁を言いわたします。新之丞は師匠・木部孫八郎(緒形拳)のもとで剣術の稽古を再開し、島田藤弥(坂東三津五郎)に果し合いを申し込む・・・。

果たし合いの結果は上述しました。

ラストシーンは泣かせます。

徳平(笹野高史)が新しい女中の雇入を提案します。下女だからと姿顔を見せず炊飯などをしますが・・・それは離縁したはずの加世(檀れい)だった。

映画では、気づいた三村新之丞(木村拓哉)が加世(檀れい)の手をしっかり握りしめます。

原作小説の描写は、

新之丞は気づかないふりをした。台所からいい匂いが洩れて来る。蕨(わらび)の香りだった。「今夜は蕨たたきか」「去年の蕨もうまかった。食い物はやはりそなたのつくるものに限る。徳平の手料理はかなわん」「どうした? しばらく家を留守にしている間に、舌をなくしたか?」不意に加世が逃げた。台所の戸が閉まったと思うと間もなく、ふりしぼるような泣き声が聞こえた。・・・加世の泣き声は号泣に変わった。

Love and Honor Trailer (2006)

まとめ

加世(檀れい)の号泣といっしょに、あなたも泣いてください。

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