免田栄 死因は?家族は? 通夜焼香【画像】あり。

死刑囚判決で34年間檻のなかに閉じ込められ、再審で無罪となった免田栄さん(95)がお亡くなりになりました。本当に、ご苦労さまでした。なぐさめの言葉はもう届かないのでしょうか。いや、・・・。想いは亡くなった人にも伝わると仏陀は伝えています・・・。

写真:免田栄。

洋の東西、南北にかかわらず世界中に葬儀、埋葬、お墓という概念があるのは、それが故人と生者をつなぐことが叶う綱、タイトロープなのだと知覚しているからです。ことばに命の脈動があるときは、こちらからもあちらからも、想いは運ばれます。

免田栄さんのご冥福を厳粛に、しずかに、お祈りいたします。

無罪確定で娑婆(しゃば)にもどられてからの活動でたくさんの人人が「生」と「死」について考えさせられました。ありがとうございます。お亡くなりになっても免田さんの思いは人人の内心を揺り動かします。

免田栄死去 95歳 死刑囚として初の再審無罪

NHKニュースが伝えました。

免田栄さんは、昭和23年に熊本県人吉市で夫婦2人が殺害されたいわゆる「免田事件」で死刑判決が確定しましたが、無実を訴え続け、35年後の昭和58年に死刑囚として初めて再審で無罪となりました。

その後、免田さんは、自身の体験や死刑の廃止を訴える本を出版したほか、人権の大切さを訴える講演などを各地で行ってきました。

免田さんは妻とともに大牟田市の高齢者施設に入所していましたが、妻の珠枝さんと施設によりますと、5日昼前、老衰のため亡くなったということです。95歳でした。

妻の珠枝さんは「けさも柔らかいものを食べて、顔もやせていませんでした。さみしくなります」と話していました。

家族は無罪放免後に結婚した妻(84歳)一人・・・。

妻の玉枝さん(左)と思い出を語り合う免田栄さん=2019年6月、大牟田市(熊本日日新聞)

「熊本日日新聞」が免田栄さんを看取った妻、玉枝さん(84)のことばを伝えています。

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「息苦しい様子もなく、今にも起きてきそうだった」。妻の玉枝さん(84)は、免田さんの最期の様子を語った。

釈放後の1984年に結婚し、福岡県大牟田市で生活。「大牟田の人たちが受け入れてくれた。あんなに喜んでいたから人生を取り戻せたんじゃないかと思う」と玉枝さんは考えている。大好きなビールは亡くなるまでたしなんだという。

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免田栄さんの通夜で焼香する玉枝さん=5日午後7時20分ごろ、大牟田市(熊本日日新聞)

↑この写真の妻、玉枝さんとおなじように「気」を合わせ瞑目合掌で免田栄さんへの想いは伝わると思います。

日本中の人、人、大勢の人、人が免田栄さんの家族とおなじです。

免田栄、死刑判決と再審無罪までの経緯。

免田栄さんの逮捕(1949年)から再審無罪(1983年)までの流れです。

免田事件をレポートしつづけた毛利甚八(もうり・じんぱち)氏・故人 作家・漫画原作者。・・著書に『家栽の人』(原作・小学館)、『宮本常一を歩く〈上・下〉』(小学館)、『裁判官のかたち』、『少年院のかたち』(ともに、現代人文社)があります。・・を紹介します。https://www.keiben-oasis.com/430

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1948(昭和23)年、熊本県人吉市で、祈祷師一家4人が殺傷された。翌年1月、その被疑者として、免田栄氏が別件の窃盗事件で逮捕された。

その取調中に犯行の一部を認め、その凶器のナタを飛行場近くに埋めたと「自白」したが、一旦自白を翻した。

その後本件で再逮捕され、「自白」したため、起訴された。

第一審の熊本地裁八代支部の第1回公判で否認、無罪を主張。しかし、一審・二審とも有罪(死刑)となり、最高裁で死刑判決が確定。獄中から34年にわたって無罪を訴え続けた。

1952(昭和27)年、第1次の再審請求をしたが、棄却される。第5次までいずれも棄却されたが、1972(昭和47)年、第6次の再審請求。熊本地裁八代支部で棄却されたが、

1979(昭和54)年、福岡高裁で再審開始決定。

1983(昭和58)年、再審で無罪確定。財田川・松山・島田各事件とともに四死刑再審事件といわれ、すべて無罪となった。

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死因はNHKニュースでは「老衰」と。じつは多臓器不全。

免田栄さんの死因は「老衰」?? 別にこの死因に異議を唱えるつもりはりません。ご家族が納得されていればいいのです。老衰ということばに「おだやかな最期だった」という意味をもたせて使うケースが多々ですので・・・。

しかし、老衰ということばは医学的かどうかの検証は必要な時期にきているのではないでしょうか? 死亡診断書は医師が書きます。が、老衰という病名はないのです。平均寿命を超えた人の死因は、ぶっちゃけ「老衰」にしておこう、ということですね。

Wikipediaにはこうあります。

老衰によって生命活動が終わること(死ぬこと)を、老衰死(ろうすいし)とも言う。 加齢による老化に伴って個体を形成する細胞や組織の能力が低下し、多臓器不全により恒常性の維持・生命活動の維持ができなくなることが原因である。

老衰の概念は年代や国によってちがいます。曖昧模糊とした抽象的なことばです。

医学的用語なら・・多臓器不全・・のような気がしますがどうでしょうか。老衰という死因が近年増え続けています・・

現実問題として時間とコストをかけて死因を特定するようなことはしない。
病院側も患者への虐待や医療ミスを隠蔽することだって起こりうる。老衰が都合よく隠れ蓑に使われ、悪用されてしまう。(『週刊現代』2019年8月3日号)・・ということも起こりえますね。

まとめ

免田栄さん95歳は日本史初の「死刑囚の再審無罪」というエポックメイキングを日本史のうえに残されました。これは永遠の記録として後世にも伝わります。

生きる意味が何かを誰かに伝え残すことにあるとしたら、

免田栄さんは偉業をなされたと思いたいと思います。

「冤罪で失ったものは人生の時間ですよ。何を言っていいかわからない。私にわかるのは、私のような人間が2度と出ないように」(免田栄さん)

失われた時間・・むごいです。でも、それを上回る業績を残されたのです。

写真は事件現場近くの川辺川付近(毛利甚八氏撮影)

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