日の丸に助けられ石原慎太郎・尖閣購入は民主党が邪魔、涙?

89歳、数え年、90歳。日本の現代を生きた侍。巨星・文学者であり政治家でもあった石原慎太郎氏逝去の報にしばし呆け悲しくなりました・・・。わけもなく涙がふきこぼれてきます。人の死は人の不在をどう感じるかでその人のそれまでの人生がチラ見します。

写真:若い頃の石原兄弟。右慎太郎、左裕次郎。

まずは、弔問です。静かに遺族、家族にお悔やみを述べる。日本の、日本人の、ならいです。日本だけでなく世界中の過半の人々は、おなじです。キリスト教、仏教、神道、イスラム教などなどあらゆる宗教、信仰のベースはこのお悔やみ、弔問がなくては成り立ちません。あらゆる思想、思考のゴールでありスタートラインでもあるのです。

極右妄言製造機が死亡・・と韓国報道は弔問せずに侮蔑

しかし弔問などまっぴら、鬼の首をちぎってはしゃぐような痴態を示す韓国報道もありました。

このような報道は韓国オリジナルの流儀です。

弔いより鞭打つ。

日本国内でも韓国流儀に右?へならいで社民党議員が石原慎太郎はレイストなどと非難の声で追従しています。山口二郎法大教授が石原慎太郎氏の訃報に、石原氏を「ヘイトスピーチをまき散らしてよいとした大罪あり」と韓流報道へ追随しています。

悔やむこころをもたない、素朴なこころを持たないのです。

日本共産党志位和夫委員長は日本のこころを持っている!

共産党でさえ、「心からのお悔やみを申し上げたい」(志位和夫委員長)と語りました。

共産党の志位和夫委員長は1日、作家で元東京都知事、元衆院議員の石原慎太郎氏が死去したことに関して、国会内で記者団に「心からのお悔やみを申し上げたい」と述べた。 都政などで対峙(たいじ)した石原氏との思い出について問われると、「世代もだいぶ違っていて、ご一緒したこともほとんどない。私たちと立場の違いはもちろんあったわけだが、今日言うのは控えたい」と語った。

(産経新聞・2・1)

少年、慎太郎は、米軍機に銃撃されたが、日の丸に助けられた

石原慎太郎氏が日本、日本人をつよく意識したのは大東亜戦争末期、畑のなかを走って逃げる彼、慎太郎少年を米軍機が連射目標にしたときです。

ふいに米軍機がいなくなった。

空を仰ぐと日の丸の日本の空軍機がいた。追い払ってくれたのです。あの日の丸は忘れない。

弔問とは、生存中だったその人を思い出すことでもあります。

石原慎太郎氏の男児4人は次のように語っています。

石原伸晃さん(64):
本日はお忙しいところ、お集まりをいただきまして本当に恐縮でございます。ご承知の通り父・石原慎太郎が、本日の午前に急逝いたしました。89歳。数えで90歳であります。膵臓がんを患っておりまして、本当によく戦い、頑張ったんでございますが、昨年の10月に再発をいたしまして、本日に至ったところでございます。年末には12月でありますけれども、短編小説を取りまとめまして、大変いい上下巻の本が出来上がって、喜んで「これが俺の遺作だな」こんなこと話しておりましたけれども、その後も実は執筆活動を先週まで続けておりまして、今年これから本当に最後になってしまいますが、3冊本が出版されます。都知事など政治家としての経験が長い父ではありますけれども、最後まで作家として、仕事をやり遂げた。冥福を祈るばかりでございます。ありがとうございました。

石原良純さん(60):
初めに石原慎太郎ファンの皆様。作品を愛してくださった皆様。そして政治家として一緒に戦って応援してくださった皆様。それからそれを支えてくれたスタッフの皆さん、それからこの晩年また、介護闘病の時期にですね、非常にワガママな父の面倒を見てくださった皆様に、まずはお礼と、それからご報告したいと思います。本日はどうもありがとうございました。
いま兄からもありましたけども、僕は石原慎太郎という人は、作家だと思っておりますから本当にその最後、体が動かなくなっても短い時間、1時間2時間ですけどその時間にワープロに向かって文字を打ち続けていた姿はやっぱり、まさし文学者なんだなぁと。
その分ですね、家庭人といいますか、父親としてはかなりユニークな人だったと思います。ただやっぱり、僕らが言うのもなんですけども、一つの時代を築いた父でありますから、父が抜けたあと、いなくなった後よりですね、僕らも頑張っていかなければならないと思います。本日はどうもありがとうございます。
最後今日ですね僕はちょっと看取れなくてみんなちょっと本当にバタバタしている中で、四男の方が最後に立ち会っておりますので、その辺りのことは四男から皆さんの方にお話があると思います。

石原宏高さん(57):
皆様きょうは父のためにお集まり頂きありがとうございます。私にとっては素晴らしい助言をしてくれる父であり、そしてなかなか到達できないですけれども、目指すべき政治家の先輩でありました。
実は学生時代にですけれども励まされたのですが、父が素晴らしく、尊敬していたので、悩むことなんかないじゃないかなと。そして将来まで計画しているのじゃないかな、とそんな思いでいたら、ある時父が「そんなこと宏高ないよ、おれも今を一生懸命生きているんだ、だからお前も頑張れよ」と温かいアドバイスをして頂きました。
政治家としても色々なアドバイスをして頂く父でありました。本当に多くの方に応援を頂いて、特にこの田園調布は私の選挙区でありますけれども、私も国政で活動している中でですね、本当に父の知り合った方にも応援を頂いて、いま5期目の当選を果たせているところであります。本当に追いつけないですけれども、父を目指してこれからも全力で頑張って参りたいと思います。本日はありがとうございました。

石原延啓(のぶひろ)さん(55)画家。
今朝、今までと様子が違うという連絡を受けて駆けつけましたところ、非常に呼吸が荒く、目は開いているんですが、天井を見つめている状態でした。“お父さん”と声を掛けても反応はありませんでしたが、しばらく便秘で悩んでいて、お腹をなんとなく抑えていたので、そこをさすりながら声を掛けていました。そのあと介護士さんと身体を綺麗にしたりして、横で悩めていましたが、相変わらず苦しそうだったので、顔や頭に手を触れてみました、そうするうちに荒い呼吸が収まってきまして、これは少し大人しく眠ってくれるかなと思いましたが、そのまま呼吸がすーっと収まって、本当に、あっという間に息を引き取った感じでした。  がんはとても痛いと聞いた父は非常に怖がっていたので、そういう意味では痛みをそこまで感じないうちにスーッと安らかに息を引き取ったので、息子としてはそれで良かったのかなと思います。一週間前までは、毎日一度は起き上がって1時間、2時間、机に向かっていました。ただ、それがいっぱいいっぱいで、あとはほとんど寝ていて、仕事中、食事中以外はコミュニケーションを取るのもなかなか難しい状況でした。父らしい最期とはどういうものなんだろうと臨んでいましたが、安らかに息を引き取ってくれたので、我ら家族としては、それで良かったのかなと思っています。

石原慎太郎4人の息子

写真:産経新聞・・石原慎太郎氏の自宅前で報道陣の取材に応じる(右から)石原伸晃氏、良純氏、宏高氏、延啓氏=1日午後4時59分、東京都大田区(三尾郁恵撮影)

ご家族のおもいを受け止めて一人一人にお悔やみのこころを送ってあげてください。魂での交信チャンネルがつながります。

文学者・石原慎太郎の実績、純文学作家で超ベストセラー連続

父は作家だった・・石原伸晃さんは回想しています。

論より証拠、ご覧ください。↓

石原文学作品売り上げベスト10  http://210.136.153.187/nbest/nbestm.html

第一位  『「NO」と言える日本-新日米関係の方策-』
(盛田昭夫と共著)
部数  125万部
出版社  光文社

第二位  『弟』
(毎日文学賞特別賞受賞)
部数  120万部
出版社  幻冬舎

第三位  『太陽の季節』
文学界新人賞受賞 芥川賞受賞
部数  89万部
出版社  新潮社

第四位  『老いてこそ人生』
部数  82万部
出版社  幻冬舎

第五位  『スパルタ教育』
部数  70万部
出版社  光文社

第六位  『青年の樹』
部数  45万部
出版社  角川書店

第七位  『それでも「NO」と言える日本 -日米間の根本問題-』(渡部昇一・小川和久と共著)
部数  42万部
出版社  光文社

第八位  『法華経を生きる』
部数  33万部
出版社  幻冬舎

第九位  『青春とはなんだ』
部数  30万部
出版社  角川書店

第十位  『宣戦布告「NO」と言える日本経済
-アメリカの金融奴隷からの解放-』
部数  27万部
出版社  光文社

・・・・・・

この10冊の本だけでも印税収入は6億円以上です。その他著作は100冊以上ですから・・愚人凡人貧乏な不肖には数える指が不足で生涯収入は数えられません、すみません。

政治家石原慎太郎は「尖閣諸島購入」を民主党に邪魔された

尖閣諸島を東京都が購入できていれば、、、残念です。漁港も立派な灯台も、、、できていた。

石原知事と地権者の間で話がまとまっていたのに、当時の民主党、野田政権が割って入り金額をつり上げて国有化しました。

国有化しても、政権が自民党にもどっても、いまだに日本人の上陸も認めないという日本の領土ともおもえない環境にあります。

なんなんですか!

シナに脅されて国土をうしなうのか!

石原慎太郎氏のつよい怒りが伝わり聴こえます。

チベットやモンゴルのように!

尖閣の国有化受け 石原知事、無念さにじませ会見

今、石原慎太郎氏逝去の報にまるで呼応するかのように、石原慎太郎の魂と交信するかのように、石垣市長が、立ち上がっています。

石原慎太郎 さんが亡くなられました。尖閣諸島 を都が購入すると発表する際や折に触れ何度もお話させて頂きました。国を思う政治家で、まだまだご指導頂きたかったのに本当に残念です。市が尖閣諸島の調査をした翌日の訃報に涙が溢れます。ご冥福をお祈り申し上げます。

尖閣に標柱・灯台・漁港・・石垣市長よ!俺も征く!

石垣市議会の野党が市長の行動に反対、抗議しています。

日本が嫌いで中国や韓国が好きな人の話には論議のコア・核心部がありません。領土とはなにかも知らないのです。

脅されて立ち退いては、領土ではありません。

標柱・漁港・灯台・・・島には不可欠です。

石垣市長よ! 俺も征く!

石原慎太郎氏の霊的魂の声です。

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