水前寺清子離婚はなぜ?理由はもう一花咲かせたい!旦那に操られるのはイヤ。

水前寺清子さん75歳が離婚されました。離婚理由は明らかにされていないと報道されていますが、どうでしょうか。理由はあきらかです。年下夫だった小松明氏(69)は離婚を認めたうえで「大好きだし、今でも俺の身体(からだ)の一部だと思っているよ」と力なく語った・・と伝えられています。水前寺清子さんのほうは自身のオフィシャルブログでも・・離婚には触れていません。

https://ameblo.jp/chita365/ オフィシャルブログ

涙を抱いた渡り鳥 デビュー曲、水前寺清子さん19歳のときでした。

涙を抱いた渡り鳥 「水前寺清子」 Mayu

いろいろなことがありました。

石坂浩二さんとのポルシェ・デートもあった。そのポルシェが二度もエンストしたり・・・連絡がこなくなったら、彼は浅丘ルリ子さんと結婚・・・。

水前寺清子&小松明は協議離婚。もめごとは?

↑ 東京世田谷区桜新町の自宅豪邸。財産分与で協議中。

おなじ桜新町のマンションにある事務所住所は東京都世田谷区新町3丁目20−1と公表されています。

小松明氏は水前寺清子さん所属の事務所「水清企画」の社長でしたが、すでに辞任、水前寺清子さん自身が社長になっています。すでに離婚は決まっており、離婚にいたる揉め事、トラブルはありません。現在は双方弁護士が財産分与で協議中のようです。

写真:小松明(サックス奏者) スポニチ

前述コメントでもわかるように小松明氏は今でも「大好き」と言っています。妻のコメントはありません。夫はそうであっても妻は、そうではないのです。妻、水前寺清子さんの意志による離婚です。30年間もつづいた夫婦だからこそ、もう卒業したい、人生の最後は自由に生きたい。男性、旦那からすれば30年もつづいたのだから、このままつづけたかった。

・・今でも俺の身体の一部だと思っている・・

じつはこのことばが離婚理由のすべてを語っているのに気づきませんか?

私は、夫の身体の一部なんかじゃない、私は私、あなたに操(あやつ)られて生きているのではないのよ・・という女性心理を夫は理解していなかった。高齢者、熟年離婚で妻側からの理由で多い典型的なケースの一つですね。夫は良かれと思いアレコレ指示をだす。妻をおもうあまり指示が命令的になり強制的になります。

もういや、、、一人で生きてゆきたい。自由になりたい。ラストチャンスだ!

これが水前寺清子さんの離婚理由です。

報道各社は離婚理由はあきらかにはされていないと伝えていますすが・・・

Yahooコメント欄には離婚の真相を突いた投稿が・・・。

Yahooコメント欄には離婚やむなしの投稿がありました。

実はこの御夫婦のドキュメンタリーを見た事がありますが、夫氏からの注意が細かい細かい。一挙一動に難癖をつけてる感じ。いくら元気の良い感じの水前寺清子さんもお疲れだったのでは?

十数年前にお仕事する機会が数度ありましたが、水前寺さんには高圧的なご主人で、亭主関白以上、DV未満といった印象でした…。人前でこれなので、家庭内では…と想像していました。

なんか結婚していることが苦しそうだったもん。番組でみたけど。
チーターが旦那の帰りを寝ないで待っていて、その間に趣味がないから、ショップチャンネルばかり見て買い物してるって、豪邸がものだらけで寂しさを埋めてるんだろうなと悲しくなったもん。やっぱりそうだったんだ。

最後に一花咲かせたい女性とは 歩調のそろわないこともあるでしょう。

あるTV番組で、水前寺さんを叱り飛ばしているのを
見て、嫌だなと思った。
女性に経済力があるって良いですね。
水前寺さんは歌が上手いから、これからは自由に
生きて行かれるのも良いことだと思います。

・・この元旦那さんと結婚したとき、テレ東が独占中継してたw 当時はバブルで松田聖子と神田正輝、森進一と森昌子、小柳ルミ子と大澄賢也とかの結婚式を日テレやテレ朝辺りが生中継で特番組んでた時代。みんな別れちゃったけど。

1人で気ままに暮らしたくなったのかなぁ〜、いつも元気はつらつなチ〜タさん、素敵な歌い手でいて欲しいです。結婚が31年も続くなんて、上出来ですよ。お疲れ様でした。大好きです。

すこし小松明氏への苦言に偏りすぎているかもしれませんが、水前寺清子というたぐいまれな国民的な歌手の裏方として生きてきたのですから甘んじて受けざるをえないでしょうね。非は自分にある、彼女に非はない、と。

小松明(元・夫)は水前寺清子に一身を捧げた?

小松明氏は音楽大学を卒業後、サックス奏者としてバックバンドのリーダー、バンマスを務めるなど音楽家として活躍していました。水前寺清子さんのバックバンドをした縁で交際をはじめ1989年に二人は結婚、それを機に小松明氏はプロとしての音楽から身を引き、国民的大歌手水前寺清子さんの裏方として生きます。

きかん気な気性の水前寺清子さんとは真反対の低姿勢おだやかなマネージメントに徹した小松明氏は業界内で「水前寺清(すいぜんじきよし)」と呼ばれていたくらいです。つまり、小松明氏にしてみれば、自分の人生はこれで決まった、これで行こう、自分の一身は天性歌手の水前寺清子に捧げよう、裏方人生で悔いはまったくない。

でも、水前寺清子さんは、強制的強圧的な小松明氏に、あいそが尽きてしまった。あきれてイヤになってしまたのです。表方(水前寺清子)が裏方(小松明)を嫌いになれば、表方の意志、気持ちで表裏一体は解消です。

まとめ

元夫となった小松明氏は、自分がいなくて水前寺清子はやっていけるはずがない、と確信していたと思います。その自信が小松明氏の人生のつっかえ棒でした。無念だろうと思います。しかし、まだ69歳です。あと20年生きるとしたら、何ができるかを決めれば、今度は表方としての生き方が叶うかもしれません。頑張ってください。

水前寺清子さんは、嫌いになる前の彼には感謝を捧げて、あとはもう、全エネルギーで羽ばたいてください。歌、歌、曲が勝負の決め手ですものね。

それに加えて「水清企画社長」というリアルな仕事もあります。後輩を育てるという仕事もこなしてください。人生はワンツーパンチ! 休まないで歩け♪♪

三百六十五歩のマーチ 水前寺清子(1996 OA)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする