李登輝・台湾元総統のご冥福を心からお祈りします。
偉大、烈烈、「公」に尽くしきった政治家であり、文化人です。ラストメッセージは「民主主義か? 民族主義か?」です。
「私」では波乱万丈ありましたが・・・。公私にわたり親日家でした。
ご家族(父、母、兄、娘、孫娘など)の画像を紹介します。
写真:李登輝(りとうき)氏と妻・曽文恵(ツェン・ウェンフイ)。2001年来日当時・毎日新聞・。李登輝さん、背が高いです。身長180㌢です。奥さんの頭が彼の肩あたり。
↑1949年、国立台湾大学寮の前で新婚夫婦。李登輝さん26歳、曽文恵さん23歳でした。
李登輝さんは「兄」が大好きでした。勉強もスポーツもできる兄に憧れて育っています。
兄の写真はこちらです。右は李登輝さん、左が「兄」の李登欽さん。
日本海軍上等機関兵として出征した兄は昭和20年2月15日、フィリピンのマニラで戦死されました。「海軍上等機関兵 岩里武則(日本名)」として靖国神社に祀られています。訪日の際に靖国神社を参拝された李登輝さんは・・家族は兄の死が信じられなくて墓もない。しかしここ靖国に霊が祀られていた・・と感慨もひとしおだったそうです。
李登輝さんご一家(後列右:李登輝元総統、後列左:兄・李登欽さん、前列右から、父・李金龍さん、祖父・李財生さん、母・江錦さん、兄嫁・奈津恵さんとその子供達(写真: 早川友久 (李登輝 元台湾総統 秘書)提供)。JR東海、車内誌wedge掲載。
李登輝さん台北市長時代の家族写真。
左から長男・李憲文さん、長女の李安娜さん、李登輝さん、奥様の曾文恵さん、次女の李安妮さん。
ああ、
李登輝さんは意識不明になっても孫娘の問いかけには反応していたそうです。
写真:李登輝さんご夫妻の孫娘、李坤儀さん。
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CNA中央通訊社(Central News Agency) — 台湾のニュース通信社–が李登輝さんの最期を詳しく伝えています。意訳ですが、転載します。
・・・
李登輝さんのラストスマイルは平和的で満ち足りた表情だった。
李登輝前大統領がベイロンで亡くなりました。医療チームは家族と話し合い、投薬を中止し、呼吸器を外す前に李登輝の自然死を待つことを決定しました。彼の死床では、李登輝の妻などの家族が静かに付き添われていました。
李登輝は、2月8日の夕方に自宅で食事をしているときに誤って咳をして窒息しました。検査のために台北退役軍人総合病院に運ばれ、誤嚥性肺炎と心不全が見つかりました。台北退役軍人総合病院は、今夜、李登輝が174日間入院し、医療を受けていたと述べました。チームは最善を尽くして治療しましたが、それでも元に戻すことはできず、今夜7時24分に死亡しました。
ホロンシンチャン氏(バイロン副社長兼医療チームの責任者)は、今夜、李登輝氏が2月17日に突然心臓ショックを受けた後、緊急CPR後の人工呼吸器を使用して命を救ったが、ほとんどの場合昏睡状態であったと述べた。曾孫の声と絵に反応しただけで、入院中に感染が繰り返された。7月23日、彼は肺炎と敗血症性ショックに感染し、さらに多臓器不全に陥り、その後昏睡状態に陥り、家族は平和的なケアをすることを考えなければならなくなった。
黄新章氏は、家族と話し合った後、同病院は国と医療への李登輝の貢献に後悔がないと信じており、生命の価値を尊重することに決めたと述べた。彼は李登輝の自然死まで、呼吸器具と生命維持装置を取り外さなかった。この期間、妻のZeng Wenhui氏は、二人の娘、孫娘と家族全員が彼に同行しました。
李登輝の世話を18年間務めてきたベイロンのコンサルタントである陳雲亮は、李登輝が亡くなったとき、家族全員がそばにいたと言いました。牧師は家族の祈りを主宰し、愛、感謝、謝罪、お別れの4つの方法を実行しました。ラストマイルはとても平和でした。
北栄は、李登輝が22階の大統領府から夜10時に一時保管のために懐苑ホールに移し、大統領宮殿が遺体のその後の手配を担当すると述べた。
この問題に詳しい人々は、大統領府事務総長の蘇家泉、副事務総長の李順義、および元元事務局長の李門岩も、夜に台北栄宗に敬意を表するために訪れ、家族と一緒に葬儀のフォローアップについて話し合ったことを明らかにしました。(編集者:Zhang Mingkun)
原文は以下です。
前總統李登輝(左)30日晚間7時24分於榮總逝世,享壽98歲。圖為李登輝108年10月19日在台北出席李登輝基金會募款餐會,與女兒李安妮(右)席間交談,這也是李登輝生前最後一次出席公開活動。(檔案照片)中央社記者裴禛攝 109年7月30日
(中央社記者張茗喧、葉素萍台北30日電)前總統李登輝今天晚間在北榮過世,醫療團隊和家屬討論,決定先停藥,等到李登輝自然離世後再拆除呼吸器,臨終之際,李登輝的妻女等家屬都陪伴在側,走得相當安詳。
李登輝2月8日晚間在家中進食時不慎嗆咳,緊急送到台北榮民總醫院檢查發現有吸入性肺炎及心臟衰竭,台北榮民總醫院今天晚間表示,李登輝歷經174天住院治療,醫療團隊全力救治,仍無法挽回,今天晚間7時24分與世長辭。
北榮副院長、醫療團隊召集人黃信彰今天晚間表示,李登輝2月17日突發性心因性休克後,雖緊急進行CPR急救後使用呼吸器救回一命,此後多數時間都處於昏迷狀態,僅對曾孫女的聲音、畫面有反應,但住院過程中反覆感染,7月23日感染肺炎合併敗血性休克,甚至併發多重器官衰竭,從此陷入昏迷,也讓家屬不得不思考走上安寧照護一途。
黃信彰說,院方和家屬討論後,認為李登輝對國家、醫療的貢獻已經了無遺憾,決定尊重生命價值,直到李登輝自然離世後,才拆除呼吸器和維生設備,這段期間妻子曾文惠、兩名女兒、孫女等全體家屬都陪伴在旁。
照顧李登輝長達18年的北榮顧問陳雲亮表示,李登輝臨終之際,所有家人都在場,由牧師主持家庭禱告,並進行道愛、道謝、道歉、道別4道人生後,李登輝在生命最後一哩路,走得相當安詳。
北榮表示,李登輝晚間10時自22樓總統病房移靈至懷遠堂暫存,後續遺體安排事宜將由總統府負責。
知情人士透露,總統府秘書長蘇嘉全與副秘書長李俊俋、行政院秘書長李孟諺晚間也赴台北榮總致意,並與家屬討論後續治喪事宜。(編輯:張銘坤)
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名前:李登輝(りとうき) 日本名:岩里 政男(いわさと まさお)。
生誕:1923年1月15日
出身:台湾
大学:京都帝国大学、台湾大学、アイオワ大学、コーネル大学 農業経済学専攻
職業:農業経済学者、政治活動家、代4代中華民国総統
没 :2020年7月30日午後7時34分 97歳
最期は家族みんなに見守られ、静かに息をひきとられました。
日本が大好きだった。北京語はめちゃくちゃだったが、日本語は流暢(りゅうちょ)でした。
さようなら、李登輝総統、李登輝さん。
李登輝ラストメッセージは・・・民主主義か、民族主義か・・・
ダイヤモンド編集部が昨年末(2019年)に行った李登輝単独インタビューからの引用です。
同編集部によると・・・。
インタビューは質問状に対して李氏が答えた内容を、日本人秘書の早川友久氏が書面にまとめ、ダイヤモンド編集部副編集長・杉本りうこが構成・編集した。タイトルは・・・。
李登輝・台湾元総統ラストインタビュー
「リーダーなき世界で日本は今、何を考えるべきか」
米国による一極支配の時代が終わった今、私が言いたいことは逆説的ではあるが、「米国との関係がますます重要になる」ということだ。それは米国による軍事の傘で守ってもらう、というような話ではもはやない。より密接で対等な同盟関係を追い求めていく必要があるのだ。むしろ米国もそうした互恵的な関係を望んでいるのではないか。トランプ大統領の発言から私はそう感じている。日本は米国との間で、率直な対話に基づく対等なパートナーシップを築くことを考えるべき段階に来ている。
米国は民主主義を標榜する社会だ。経済的には中国との関係が利益にはなるが、こうした状況でも民主主義国家としての良心を発露させてきたのが米国の議会だ。私は95年に米コーネル大学のフランク・ローズ学長から招待されて訪米した。大学の特別講座で講演をするのが目的だったが、私が訪米を画策していることが伝わり始めると案の定、中国が妨害を開始した。現役の台湾総統の訪米は、当時のクリントン政権にとっても頭の痛い問題だったに違いない。だが、すごいのは議会だ。私を訪米させようと言って、上下院で採決までした。米国は民主主義を、経済的利益よりも上位の価値として認めているのだ。
日本のマスコミの皆さん、日本の国会議員の皆さん、与野党問わず、よくよく頭に入れておいてください。「民主主義を経済的利益よりも上位の価値」・・・。
日本の場合は残念ながら、こうしたときの反射神経というか、反応が鈍い。中国に大きな幻想を抱いている国会議員や外務省の「チャイナスクール」と呼ばれる官僚、新聞記者が多過ぎる。インターネットが普及し、これだけ情報の獲得が容易になった現在、日本も大きく変わるべきではないか。
変わるべきではないですか。今変わりつつある? 損得第一(経済的利益)でゆきたいのですか?
もともとアジアにおける経済発展は、日本の明治維新や戦後復興がモデルだ。国家が基礎になって「資源の配分」を行う方法である。明治期の日本ならば、農民からの地租(租税)を基に財政を調え、工業に資金を再配分した。
戦後復興であれば、重化学工業への傾斜生産方式がそれである。終戦後、台湾大学に編入するまでの1年、私は京都帝国大学(現京都大学)に通っていた。校内は寒く、ストーブはなかった。燃料となる石炭は全て工業に回されていたのである。
ああ、そのような時代があったのですね。
ワシントンコンセンサスについては自由放任市場と民主主義には関連性がないことが明らかになったし、北京コンセンサスも人権などの普遍的価値が経済発展に重要であるという基本的認識を欠いている。そして前述のように、日本と台湾の経済発展がたどってきた道は、この二つのどちらとも明らかに異なる。政府が強力な経済政策を主導することに関して、近年の日本で懐疑的な見方が強くなっているようだが、それはこうした過去の経験が忘れられているせいではないか。
李登輝さんは別のインタビューに、
「日本のGDP成長率は1.5%ぐらいではダメだと、安倍総理にも以前から投げかけているんだ。日本は、少なくとも、年4%くらいのGDP成長を目指さないといけないんだ」
とおっしゃています。(The Liberty Web)
4%成長! わくわく、うずうず、してきますね。
「国家を経営する」ということを考えた場合、中国のような独裁体制の方が効率が良いと捉える向きがあるそうだが、私はその意見には同意できない。あくまでも国の主人は人民であって、権力者は仕事をするために有権者から権力を借りているにすぎない。
ああ、鳩山由紀夫元首相のように日本は中国と共に生きてゆくべきで、中国の一帯一路構想にも積極的に加わるべきと主張する政治家もいます。おそらく民主主義という手間ひまかかる政治体制よりも独裁体制の即決式のほうに魅力を感じておられるのでしょう。しかし、
台湾がこれから、政治においても経済においても負け組になるような国難を避けるためには、どうするべきか。もう一度体制を改革し、台湾がこれから、政治においても経済においても負け組になるような国難を避けるためには、どうするべきか。もう一度体制を改革し、「コンセンサス型民主主義」(編集部注:比例代表制や多党制を特徴とする民主主義)に移行する必要があると私は考えている。コンセンサス型民主主義は、権力の分担により、傷ついた社会の分裂を補修し、対立を解消するのに適した民主体制だといわれる。であるならば、いまだにアイデンティティーによって社会が分裂した台湾においては、この体制が有効な解決手段の一つとなるのではないか。民主制度は台湾の究極的な価値であるという前提の下、民主主義制度の選択を考慮する必要があると考えている。
私はこれまで「民主改革を成し遂げ、民主国家となった台湾は、もはや民族国家へと後戻りするべきではない」と主張してきた。台湾の国民が持つ共通の意識はあくまで民主主義であり、民族主義ではないのだ。英国の経済学者エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハーは、「ある経済体が、政治的独立と国家のアイデンティティーを失ったなら、発展はあり得ない」と指摘している。台湾はこれからどのようにして、民主政治体制を通して社会の分裂を食い止められるだろうか。
ああ、
李登輝さんは台湾問題として述べられていますが、それは・・「リーダーなき世界で日本は今、何を考えるべきか」という問いかけへの・・ラストメッセージにもなっています。
国民が持つ共通の意識はあくまで
民主主義であり民族主義ではない。
民主主義という旗ならたくさんの国々の共栄共存をめざすことが可能になります。李登輝さんの貴重な最期のメッセージです。
李登輝さん、安らかにお旅立ちください。ありがとうございます。