“よし よし よーし”
“ナイスボール””いけ”2つ”
“入った、ホームラン”“よく頑張ったよ~”
“焦るなよぉ。焦るなよぉ”
“おーい、よくやったー”ありがとぉーいいぞぉおーい、ありがとうー”
“113キロ”
”やったー”
↑ オリンピック、ソフトボール解説者・宇津木妙子さん(68)のすばらしい ”解説” です。選手やソフトボールの愛にみちみちた ”神”解説 と大ウケでした。いわゆる解説にはなっていないのですが、、、いや、すばらしいです。神つぶやき$&神絶叫です。
写真:宇津木妙子 68歳(2021年7月現在)
【宇津木妙子プロフィール】
名前:宇津木 妙子(うつぎ たえこ)
生年月日:1953年4月6日
出身地:埼玉県比企郡中山村
日本生まれの日本育ちです。
チーム:東京国際大学女子ソフトボール部総監督
高校は、埼玉県川越市の私立星野女子高等学校を卒業です。
星野女子高校は、現在では星野高校で男女共学です。ソフトボール部のレベルは高く、春の全国選抜大会や夏のインターハイに合わせて55回出場しており、5回の全国優勝の実績があります。アテネ五輪(2004年)で日本代表の監督(銅メダル)。
日本人宇津木妙子に憧れ海峡を越え来日し帰化した宇津木麗華
そして、この宇津木妙子さんに憧れ、出生地中国から海峡を越えて日本に来たのが現在日本チームの監督、宇津木麗華さん(58)です。
写真:宇津木麗華 58歳(2021年7月現在)
【プロフィール】
名前:宇津木 麗華(うつぎ れいか)
生年月日:1963年6月1日
出身地:中国北京
32歳だった1995年に日本に帰化し、宇津木妙子さんの宇津木姓をもらいました。日本国籍の日本人になって26年です。身もこころもことばも日本人です。もちろん故郷へのおもいはありますが・・・。中国へ帰れと無作法なヤジを飛ばされたこともありますが、一度も帰りたいとはおもわなかったそうです。
ソフト選手が慕う「任さん」(宇津木麗華)の鉄のメンタル
2021年7月24日 朝日新聞記事からの引用です。
ソフトボール女子日本代表の宇津木麗華監督(58)は、選手らから「監督」以外にも、「任さん」と呼ばれ、慕われている。
北京出身。1995年8月に日本国籍を取得するまでの中国名は、任彦麗。名字は元日本代表監督の宇津木妙子さんからもらい、名前は「彦麗」と「中華」から1文字ずつ取った。
・注:任(にん)
日本代表が中国に遠征した79年、三塁を守っていた宇津木妙子さんに魅了された。自身は陸上のやり投げからソフトボールに転向したばかりで、グラブさばきや、小柄ながらも強い打球を飛ばす姿に憧れた。
「宇津木さんと一緒に、ソフトボールをしたい」
手紙などのやりとりで思いを受け取った宇津木妙子さんは、反対する元軍人の父を説得するため、中国まで来てくれた。五輪憲章の国籍事項の影響で、日本国籍取得後の96年アトランタ大会に日本代表として出場できないと決まったときは、一緒に泣いてくれた。
異国の地で苦しい思いばかりを味わったから、今ではちょっとやそっとでは、メンタルが揺らがない。
・
現役時代は強打の左打者として活躍し、教える立場となっても、特に打撃は理論的に細かく指導する。
「相手投手の顔は見ない。指から球が離れるリリースの瞬間を見ること」
「例えばこの球種を狙っているなら、何十度の角度でバットをこう出す」
選手からは「そんなのできない」という声が漏れることもあるが、宇津木妙子さんは笑う。「日本の選手は、そう教えられてこなかった。麗華は打撃にうるさいからね。その分、すごく勉強してるよ」
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”神解説”と”神熱血監督”・・選手は”神”ゲッツーの奇跡
”神解説”の宇津木妙子さん、”神監督”の宇津木麗華さんのもとですから、選手たちも”神”プレー連続でした。最たるのが、”神ゲッツー”のダブルプレーです。あっの瞬間にツーアウト。
サードが弾いた打球をショートが直接捕球しダブルプレー#ソフトボール決勝 pic.twitter.com/lD0xo20Nyx
— やま D57 (@1Nobuhiro) July 27, 2021
日本が神ゲッツーした時のアメリカのバッターの表情。
まあこうなるわな。#ソフトボール pic.twitter.com/85glEpwusi— JETWORLD//LIVE RUNNER 2020 → 2022 (@mss05918) July 27, 2021
ありがたい、有り難い・・奇跡、神がかりが起きるのです。
えっ!!! そんなこと!!! 呆然のUSAバッター!!!
レフト外野まで抜けたとみえた打球が・・・なんと、ツーアウトです。抜けていたらUSAが勝利したかもしれません。
二人の”神”宇津木が絶叫し号泣するのも当然です。二人の”神”の目の前に有り難い”神”プレーが出たのです。横浜スタジアム夜の怪談、いや快談、快挙です。
宇津木妙子の米国選手への感謝に「涙が出ました」
7/28(水) 12:29配信 J-CASTニュースから引用します。
日本が1点リードで迎えた5回だった。2死1塁の場面で米国はモニカ・アボット投手(35)をマウンドに送った。
すると宇津木さんは「日本のソフトボールが強くなったのもアボットたちのおかげなんですよ」と感慨深げに語り、「彼女たちが日本に来て日本人を盛り上げてくれて。日本のバッターは最初は全然打てなかったが、徐々に当たるようになった」と振り返った。
191センチの左腕・アボット投手は08年北京五輪に米国のエースとして出場し、決勝の日本戦ではリリーフとしてマウンドに上がった。09年からは日本女子ソフトボールリーグのトヨタ自動車に所属しており、日本リーグでは4度MVPに輝くなど世界トップの実力を見せてきた。日本女子ソフトボール界をけん引してきた選手のひとりだ。
宇津木さんの米国選手へのコメントについてツイッターでは「リスペクトを忘れない素晴らしい指導者」「宇津木さんの言葉、心に刺さりました」「元監督の言葉だけに心に響きます」「ええこと言うな~涙が出ました」などの声が上がった。
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二人の”神”宇津木の絶叫、号泣にまるで唱和するかのように、観客も泣いたのです。
宇津木麗華「お墓はいらない。私は死んだら、海へ帰りたい」
西日本スポーツ 記者西口 憲一氏が書いています。(2021/7/27)。
日本と中国。二つの国を隔て、つなげているのが東シナ海だ。東京五輪の1年延期が決まった2020年3月末。緊急事態宣言が発出される前、心身の療養を兼ねて宇津木麗華監督は生活拠点の群馬県高崎市を離れ、沖縄で過ごした。眼前の海原を見つめながら、つぶやいた。「お墓はいらない。私は死んだら、海へ帰りたい」
24歳の春、中国名「任彦麗(にん・えんり)」は、宇津木妙子さん(元日本代表監督)に憧れ、東シナ海を渡ってきた。1995年に日本国籍を取得し「宇津木麗華」と名乗った。好機に打てないと「中国に帰れ」とやじられ、泣いた。「日本人になって、頑張って、たくさん打ったのに…。打てなかった、たった一度を責められるのか」。誰もが期待する場面で必ず打つと心に誓った。
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言葉の壁から人前で話すのは苦手。カラオケはやらない。好きな曲はある。中島みゆきの「糸」だ。歌詞の「縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない」をソフトボールに置き換える。「選手と私で糸を紡いで、ハリウッド(スターが集まった)チームの米国を倒す」と大一番に臨んだ。
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福島の夏空の下で始まった13年ぶりの挑戦は、横浜の夜空の下で完結した。58歳の日焼けした頬を熱いものが伝った。上野と抱き合うと、号泣に変わった。「運は天に任せてはいけない。自分でつかむもの」。信じた選手たちの手で宙に舞った。2021年7月27日―。麗しき将の夢に、生涯忘れることのない「日付」が刻まれた。
(西日本スポーツ・西口憲一)
眼前の海原を見つめながら、つぶやいた。「お墓はいらない。私は死んだら、海へ帰りたい」・・・生地、故郷へのおもいは遠く離れるほどに増すこともあります。お墓はいらない・・・しかし、大丈夫です。おもい、というお墓もあります。いや、しかし、宇津木麗華監督の教えを受けたみなさんが記念碑という名のお墓を建てるかもしれません。
まとめ—–次の五輪(パリ)種目には無いソフトボール
二人の宇津木さん(妙子・麗華)の”神”ぶりを、、、
・日本人宇津木妙子に憧れ海峡を越え来日し帰化した宇津木麗華
・ソフト選手が慕う「任さん」(宇津木麗華)の鉄のメンタル
・”神解説”と”神熱血監督”・・選手は”神”ゲッツーの奇跡
・宇津木妙子の米国選手への感謝に「涙が出ました」
・宇津木麗華「お墓はいらない。私は死んだら、海へ帰りたい」
以上の5項目に述べました。
二人が泣いて観客も泣きました。
しかも次のオリンピック(パリ)種目にはソフトボールはありません。この2020東京オリンピック(2021年開催)がソフトボール種目の最後になるかもしれません。
号泣したくもなります。