藤沢周平『静かな木』あらすじ感想。命はって生きる遺作短編。

収録の「岡安家の犬」「静かな木」「偉丈夫」の共通テーマは生きるための戦い方です。

『静かな木』は藤沢周平晩年の遺作短編集です。「岡安家の犬」「静かな木」「偉丈夫」の三作が収められています。

一見、テーマは違うようにみえて、じつは・・・命、果てる覚悟での戦い方・・・三つの方法という読み方も可能です。ご自身が死を意識された頃合いに書かれた作品です。各短編の初出誌は—-

「岡安家の犬」は週刊新潮1993年(平成5年)7月25日号。「静かな木」は小説新潮1994年(平成6年)5月号。「偉丈夫」は小説新潮1996年(平成8年)1月号。

藤沢周平さんが肝不全で亡くなられたのは1997年(平成9年)1月26日(69歳)でした。1月26日は妻・和子さんとの結婚記念日です。 若いときに結核手術を受け輸血から感染した肝炎が発症したのです。本人は死を意識されていた。

『人間晩年図巻1995‐99年』(著者関川夏央)では妻宛の遺書には「展子をたのみます」がその最初の言葉であった・・・とあります。

展子(のぶこ)は病死の先妻との間に生まれた長女、1963年生まれ、現在エッセイストの遠藤典子さんです。

遺書には「(叔母さんや妹と)一緒に買い物をし、食事をし、小旅行をしたりして、長生きしてください」とあった。「小説をかくようになってから、私はわがままを言って、身辺のことをすべて和子にやってもらった」「ただただ感謝するばかりである」「そのおかげで、病身にもかかわらず、人のこころに残るような小説も書け、賞ももらい、満ち足りた晩年を送ることが出来た。思い残すことはない。ありがとう

このような思いを伝えられる相手がいる・・・幸福だったと思います。

・・・思い残すことはない。ありがとう。・・・短編遺作集の『静かな木』には作家藤沢周平の最期のおもいが詰まっているという読み方もできます。死は人生を総括してくれますね。


「岡安家の犬」は・・・犬鍋というゲテモノなので読みたくなかった。パスします。戦えば技量伯仲の親友に果し合いを挑む話です。


「静かな木」・・・

 福泉寺の欅(けやき)も、この間吹いた強い西風であらかた葉を落としたとみえて、空にのび上がって見える幹も、こまかな枝もすがすがしい裸である。

 その木に残る夕映えがさしかけていた。遠い西空からとどくかすかな赤味をとどめて、欅は静かに立っていた。

 ーーーあのような最期(さいご)を迎えられればいい。

 ふと、孫左衛門はそう思った。

・・・表題作「静かな木」の木は、静かに立っている欅です。

写真:欅・・あらかた葉を落としたとみえて、空にのび上がって見える幹も、こまかな枝もすがすがしい裸である。

わぁあ~、きれいな文章だなあとそう思いました。漢字とひらがなの配分がなんとも言えない妙(たえ)なる配分になっていて、読む者の肌感覚にしみ入ってきます。

布施孫左衛門は家督を惣領権十郎にゆずり隠居の身です。末子の邦之助は良縁を得て実家よりは格上の家に婿入りしています。

が、この邦之助がなんと藩の中老の息子に果し合いを申し入れた。

中老の息子は名を知られた剣士で、立ち合えば邦之助に勝ち目はありません。

福泉寺の欅のような静かな最期をのぞんだ孫左衛門が一変します。友人の体術(格闘)の使い手、寺井権吉と組んでひそかに動きます。

勘定組勤めであった二人は中老が完全に失脚するような金銭上の弱みを握っています。

孫左衛門が中老の屋敷に乗り込み、直談判におよびますが中老は「子供の喧嘩に親が出てくるのか」と高笑いするばかりでしたが・・。

帰路、孫左衛門は異様なけはいが追ってくるのに気づきます。提灯の火を吹き消し走ります。

暗殺、白刃の殺気・・うしろから熱い風に似たものが襲いかかってきた。孫左衛門は下駄を蹴(け)り捨てて片膝を地面に突くと、刀の鐺(こじり)を背後に高く突き出し・・

 図出典:goo辞書

つぎの瞬間、身をひるがえして相手の足に抜き身の白刃で一撃をくらわせた。峰打ちだが、横転した相手は動けない。立ち去る孫左衛門。

友人寺井権吉も襲われる・・。惣領の権十郎が腰を痛めた父に代わり走る。間に合った権十郎が見たのは・・襲った相手の身がふわりと宙に浮き、そのまま横転し落ちた・・一瞬の技で刀も抜かずに相手を倒していた。

藩をあげての騒動になり、果し合いはなくなり、中老は失脚し物語りは終わります。

 福泉寺のひろい境内に立って、布施孫左衛門は欅を見上げていた。青葉に覆われた老木は、春の日を浴びて静かに立っている。

 —-これも、わるくない。

 -—生きていれば、よいこともある。

写真:
欅 青葉に覆われた老木は、春の日を浴びて静かに立っている。これも、わるくない。生きていれば、よいこともある。

改めて藤沢周平作品の—これも、わるくない、生きていれば、よいこともある—文章にしびれます。一文一文の隅々にまで、気をくばるけれんみのない、すがすがしさを感じました。


「偉丈夫」・・・

身の丈六尺巨軀だがきわめて気の弱い片桐権兵衛、ふるえながらの大手柄。

 片桐権兵衛(かたぎりごんべい)を偉丈夫と形容しても、それに異議をとなえる者は藩中に、まずは一人もおるまいと思われる。六尺に近い巨軀(きょく)、鼻はしっかりとあぐらをかき、口はつねにしっかりと結ばれている。そして寡黙(かもく)。

冒頭、書き出しは主人公の紹介です。まるで東京・上野の西郷銅像のようだと思いました。

しかし、巨軀、片桐権兵衛は、巨軀に似合わず気がきわめて弱い。寡黙・・じつは口下手も尋常ではないくらいです。

 ところがある日、城を下がってきた権兵衛の顔いろがひどく悪かった。血の気の引いた面上を寒い風が吹きすぎるような顔をしている。

 権兵衛は家の中でも寡黙である。青ざめた顔についても、白く粉を吹いたような唇についても何の説明もなかった。権兵衛がぽつりと言った。

 「例の境界争いの掛け合い役に選ばれた」

境界争いとは本藩と支藩で百年以上前からつづいて来た論争です。

実質上は争いと言っても弁論大会のように形骸化してはいますが、負ければ一大事です。境界線を一歩引けば二歩三歩、大事(おおごと)になりかねません。

支藩の掛け合い役に見映のする権兵衛が選ばれてしまったのです。

妻、満江の顔もみるみる青ざめます。馬のような体軀に蚤の心臓の小心者なのを妻は知っています。助言します。なんにも言わず、じっと座っていなさい。巨軀の押し出しだけで行けという意味です。そして、当日・・・。

本藩の交渉役は、眼前に信じられないものを見ます。権兵衛は陳弁に窮して真っ青な顔に冷や汗を浮かべ拳(こぶし)も上半身も小刻みにふるえていた。

勝った! 相手は百年来の論争に決着がついたと狂喜します。笑いがこぼれそうになります。

と、そのときです。

「それは出来もうさん」

とてつもない大きな声で権兵衛が言った。生まれて初めてではないかと思えるくらいの大声が出たのです。さらに、いまや赤鬼のように真っ赤に変わった顔に滝のような汗を流しながら、つかえつかえ、どもりながら、

  これを本藩の威をもって、あくまで我意を通すならば、わが藩としては

  これを守るためには、弓矢をとっての一戦も辞さぬ、覚悟

眼光炯炯(けいけい)、相手をにらんでいました。驚いたのは相手です。弓矢、一戦、戦争、そんな大騒ぎな結論を藩に持ち帰るわけにはいきません。百年つづいた弁術大会なのです。交渉役としての面目もつぶれます。

言い過ぎたことを詫び、また改めて話し合おう、と引き下がったのです。立場が見事に逆転しました。

戦(いくさ)、弓矢、死ぬ覚悟で生きた、といえます。偉丈夫の体軀が真実味を増したのもしれません。

本藩から、不毛の論争は本年をもって打ち切りにしたいとの申し入れもありました。片桐権兵衛、加増十石の褒賞となります。めだし、めでたし。

書き終えた藤沢周平さんのこぼれる笑顔がみえるようです。

ありがとうございます。

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