伊集院静『受け月』あらすじ&感想–人生と野球、涙あり、笑いあり。

『受け月』は野球を描いた連作短篇七つ。伊集院静、感動の直木賞受賞作です。

写真は「受け月」、上弦の月です。弦(げん)、弓の弦(つる)が上なので上弦(じょうげん)です。月が何かを受ける盃(さかずき)のように見えます・・・願い事を祈ると受け入れて叶えてくれると伝えられています。・・・写真は新月の日から5日目です。月が沈む、月の入りの前、西の夜空で「深夜から夜明け前」にこの形になります。

伊集院静さんが短編集『受け月』で直木賞を受けたのは1992年(平成4年)上期です。42歳でした。直木賞は長編小説もしくは短編集から選ばれます。(芥川賞は中編小説もしくは短編小説)。

『受け月』には以下の7つの短編小説が収められています。

いずれも人生における悲喜こもごもをしみじみと味わえる作品です。短編なのに人生長くて深い・・・とつくづく感じさせてくれます。

『夕空晴れて』

急逝した夫への想いを胸に幼い一人息子と生きる由美。

息子茂は小学3年で野球チームに入る。夫は高校野球の選手だった。・・・河原で息子茂とキャチボールをする由美・・・「ママ」と呼ぶ茂にボールを帰し投げた。

「いつかこいつ(茂)とキャチボールができるかな」とつぶやいた夫のことばを思い出し、夕空を見上げる由美。目尻から涙がこぼれる。

『切子皿』

家出した父と20年ぶりに会う正一。正一が高校生だった時に、女性と暮らす父のアパートへ出向き父を蹴りあげ殴りつけたこともあった。

父は都市対抗野球大会のスター選手だった。母は父の大ファンで追いかけ追いかけ結婚したのに・・・。腹立たしさと悔しさと、しかし懐かしさもよぎる。

老いてもダンディズムを崩さない父と再開した正一。憎しみが遠い過去になくなっていくのを感じる。

『冬の鐘』

鎌倉の裏駅近くの小料理屋“はる半”を営む佐山久治は馴染客の元高校野球スター選手だった大矢と親しくなる。

佐山も大矢も百八十センチを越す大柄で佐山の妻由紀子が「山が二つ歩いてるみたい」と笑った。この二人は人には言えない悩みを抱えている。鎌倉の風情、情緒が、北鎌倉建長寺の冬の「鐘」のように、しみじみ伝わり響く短編です。

『苺の葉』

駆け落ちの待ち合わせ場所にゆくと男は別の女と逃げた。30年前・・・。男は駆け落ちに二股をかけた??

以来、独身のまま生きてきた。恋したその男・修ちゃん! 後ろ姿がそっくりな男が映画館の最前列座席にいる。緊張する伸子だった。

最前列の影はじっと動かない。スリーンに映っている女優は修ちゃんのご贔屓だった。

『ナイス・キャッチ』

ノンプロ選手だった美知男は今は母校の地元高校野球部監督。

ところが中学野球でエースだった息子和政が勝手にライバル校の野球部に入ってしまった。怒る美知男。家を出る息子。

その息子が肩をこわし戻ってきた。息子を殴る美知男。美知男の妻、和子の泣き落とし取りなしで3人は温泉旅行に・・・。

『菓子の家』

大阪十三(じゅうそう)の繁華街。プロ破産屋(整理屋)に自己破産手続きを依頼し、逃亡しようとする財産家後継ぎ、善一。負債額は20億円。

「俺には何もなくなってしまった」「俺って人間も消えっちまうわけか」・・・

その前に地元の東京麻布に戻り・・・友人、雄次に会い、野球の麻布オークス開幕戦に選手として出る・・・。

『受け月』

昔かたぎの社会人野球部監督・谷川鐵次郎は選手の頬を平手打ちし怒鳴る。

不満を持った選手らの造反劇が起き、ついに引退する覚悟を固めた。「祈るな、頼るな」が鐵次郎の信念、信条です。

そんな鐵次郎が監督引退送別会の帰路に・・・願い事がこぼれないで叶うという受け月(上弦の月)を橋の上から見上げ、家族や野球のことを受け月に祈る。

いずれの作品も 野球 があります。

勝つだけが野球ではない、負けても一緒に戦った喜びもある。

野球を知らなくても楽しく読めます。『ナイス・キャッチ』では夫と息子の諍いに割って入る妻和子が叫びます。

「野球がなんだって言うの。好きで選んで、どうしていがみあうのよ」

「もう私は嫌よ。野球のないところで暮らしましょう」

趣味の域を超えてしまうとそれはもう人生の主軸になります。争いも起きます。戦いもあります。勝敗がかかると勝ちたくなります。

しかし勝つだけが野球ではない。勝つだけが喜びでもない。負けても一緒に戦ったという喜びもあります。

「野球というゲームを考え出したのは人間じゃなくて、人間の中にいる神様のような気がするんだ」「・・・自分だけのために野球をするなよ」・・・『夕空晴れて』の亡き夫が後輩に語ったことばです。

人生、失敗も挫折もあります。成功と歓喜もあります。失敗挫折成功歓喜もどれもこれも、ずっと長くは、続けることはできません。くり返しくり返し起きます。

禍福は糾(あざな)える縄の如し(災いと福とは、縄をより合わせたように入れかわり変転する。三省堂 大辞林 第三版)。

・・・禍(不幸)福(幸福)くり返しの中で人生という縄は太く強く注連縄(しめなわ)のようになってゆくのかもしれません。

この短編集『受け月』から12年後に出版されたのが『受け月』と同じジャンルの野球小説短編集『ぼくのボールが君に届けば』でした。

参考記事・伊集院静『ぼくのボールが君に届けば』あらすじに学ぶ新お母さんの立つ位置

『ぼくのボールが君に届けば』に収められた「麦を噛む」は紫外線を浴びてはいけない病気の息子にせがまれ夜の九時すぎにキャッチボールを教える話です。

二ヶ月後に息子は静に息を引き取ります。

青空の下で野球をしたい・・・と言っていた息子が早朝の青空の下を一人歩いていた、らしい。妻は「あなたが子供を殺した」と家を出てゆきます。

——-俺は何かを伝えてやりたかった。あの子は何かを知りたがっていた。

——-野球を教えてやれたことは間違いではない気がする。

この二冊の同じジャンルの短編集で伊集院静さんは、人生の奥深いところにある小さいけれど美しく綺麗にひかる 球 のような魂へのガイドをやってくれました。

まとめ 伊集院静 受賞歴

第12回吉川英治文学新人賞(平成2年/1990年度)『乳房』

|候補| 第5回山本周五郎賞(平成3年/1991年度)『海峡』

第107回直木賞(平成4年/1992年上期)『受け月』

第7回柴田錬三郎賞(平成6年/1994年)『機関車先生』

第36回吉川英治文学賞(平成14年/2002年)『ごろごろ』

|候補| 第8回木山捷平文学賞(平成16年/2004年)『眠る鯉』

第18回司馬遼太郎賞(平成26年/2014年)『ノボさん』

紫綬褒章(平成28年/2016年)

こうして華々しい受賞歴をだけを見ると、嬉々としての人生と思えてくるかもしれませんが・・・離婚・再婚、妻夏目雅子急逝、絶筆・再再婚・・・伊集院静さんも苦しみ悩み失敗挫折の日々を過ごしてきました。失意のレベルが深ければ深いほど生き抜けば生き抜くほど嬉々のレベルも跳ね上がるのかもしれません。

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