横山秀夫『影踏み』あらすじ感想。双子兄弟の不思議スピリチュアル。

主人公は、金融業者にも信用あついウラ稼業、インテリ・ドロボー?!

横山秀夫イコール警察小説の刷り込みのまま『影踏み』を読み始めると戸惑います。文体も微妙に違います。冒頭、いきなり3行目です。・・・内耳の奥には耳骨をつんつんと突いてくるいくつもの合図があって・・・との文章がひっかかります。何それ? 耳骨?

警察小説じゃないんだ、これは。という作者のメッセージだと理解しました。文庫本を購入したのですが表紙カバーに「泥棒稼業物語」とあります。泥棒=犯罪者とくれば警察が出てきます。しかし『影踏み』に登場する刑事数人は端役でしかありません。主人公は犯罪者、泥棒です。犯罪小説の主人公はたいてい凶悪半です。『影踏み』はドロボーです。

ドロボーとカタカナで表すとなんだか犯罪のレベルが低い印象を持ちます。「ドロボー! 捕まえて!」とハイヒール女性に追われるようなイメージが湧きます。殺人など凶悪犯罪は捜査1課担当です。2課が知能犯、泥棒は3課です。4課が暴力団。横山秀夫警察小説のお馴染みはもちろん捜査1課ですが、お馴染みはまったく登場しません。

ですから10数ページ読んで、これを読むの止めようと思いました。

でも、止めずに398ページを一気読みしました。止めようとしても止められない魅力がこの泥棒、主人公、真壁修一(まかべしゅういち)30歳代にあります。高利の金融業者「トミーの店」(10日で3割の金利)にも信用あつく、無担保無保証人、顔パスで即金で貸してくれます。ほ~♪ ですよね。生きていけるんだ。1課担当の凶悪犯では、そうはいきませんし、毎日仕事に励むのも無理です。

真壁修一のお金払いも粋です。聞きたいことに応えてくれた相手には些細な事でも万札をさらり出します。簡易宿泊所(一泊3000円)の女将には5000円払う。お金が急用なら金融業者に借ります。仕事で即日にお金は手に入ります。

仕事は、深夜、家人が睡眠中に音もなく忍び込み、音もなく消える。空き巣やスリ、ひったくり犯ではない。忍び込み専門のプロ中のプロとして生きています。暴力は仕事中は絶対に使いません。しかし喧嘩となるとこれが滅法強い。ナイフで殺意むき出しで突いてくる相手にひるむどころか寸で外した瞬間に相手の顔面中央に肘撃を見舞い昏倒させる。ヤメ刑(元刑事)が胸ぐら掴み脅しをかけても平然です。手を放し去るのはヤメ刑です。警察官という看板を外しての勝負では、かなわないと知っているからです。

真壁修一は別称「ノビカベ」です。忍びのノビ、カベは逮捕されても自供しない、口を割らない「壁」のように物言わないからの別名です。3課だけでなく他の課にまで「ノビカベ」の名は知られています。

“ウラ社会” 窃盗犯が「放火殺人未遂」を目撃、事件の謎に迫る

このノビカベ、真壁修一が警察が捜査もしていない放火殺人未遂事件のミステリーを解き明かします。

発端は真壁修一が、あろうことか現行犯逮捕された事件です。いつものように音もなくサッシのガラス窓をドライバーで破り侵入し、そっと階段を上がり、寝息の聴こえる夫妻の寝室を音もなく開きます。しかし、妻の視線が真壁に向けられました。瞬時に脱出、道路脇のクルマの陰に身を伏せたら、目くらみするライトの集中照射を浴びます。

すでに警察車両に取り囲まれていたのです。なぜだ? 犯行現場近くまで乗ってきた自転車に発振器が仕掛けられていたからだとわかりますが、、、

しかし、起きていたあの妻は異様な殺気を発していた。なぜだ? 夫を殺そうとしていた、、、。居間や寝室にあった物品の記憶を探ります。ライターが無い、クルマのキーが無い。妻、女が握りしめていた。ストーブの灯油を撒く、火を付け脱出する。生命保険絡みの夫殺し放火殺人をやろうとしていた。

「それって、修兄の想像じゃん、妄想じゃん」

真壁修一にだけ聴こえる声がします。内耳の奥には耳骨をつんつんと突いてくるいくつもの合図・・・焼死した弟の声です。霊の声。スピリチュアルな声です。

注釈;いわゆる未成仏霊と言われています。この世に留まりたいという強い思いがあると意識体だけが霊界へゆかず残ります。小説『影踏み』では兄修一の弟への思い「もっと生き続けてくれ」という執着心と合致したのです。良い悪い、幸福、不幸で判別できる問題ではありません。すべての現象と同じでその状態が永遠に続くのでもないのです。あるがままに委ねるのがベストな選択と思われます。

双子の弟と無理心中した母への憎しみが兄の行動原点。

真壁修一は霊的存在となった弟、啓二と一緒に生きています。この弟とは双子です。二人は同じ女性に恋をします。彼女、安西久子が選んだのは兄、修一でした。

修一が安西久子と京都旅行中に悲惨な放火事件で弟は焼死します。なんと母親が弟を道連れにした自宅放火心中でした。当時、弟啓二は非行を繰り返し、ついには窃盗犯常習にまで身を落としていました。世をはかなみ絶望感にさいなまれた母の放火です。巻き添えで父も焼死します。修一は母を憎みます。以来、修一の力の源泉は「憎しみ」になります。

真壁修一は学業優秀で司法試験を目指していました。

が、弟の焼死体、父母の焼死体を見た後、性格が激変します。表の世界から裏の世界に転じたのです。生きるという意味では裏も表も同じといえます。霊的昇天を果たさなかった弟啓二が選んだ泥棒として生きるのです。母は絶望で死を選択しましたが、彼の絶望は裏で生きる執着に転じたといえます。弟の命を奪った母親への憎しみを胸に秘めて。

世間に絶望したとき、世間で生きる虚しさに耐えられなくなったとき、裏で生きる稼業があったとしたら、あなたなら、どうしますか? 死にますか、生きますか?

物語は真壁修一、故・啓二、安西久子の3人を軸に進みます。久子は保母です。表社会で生きています。修一が足を洗ってくれるのを待っています。故・啓二も修一が久子と共に暮らすことを願ってやみません。

放火殺人夫殺し未遂の悪女は色白の蠱惑的な女性として描かれています。幾人もの男性が彼女と関わりを持ちます。ヤクザ、刑事、地面師、裁判官までもが。しかし作者横山秀夫は彼女を全否定はしません。彼女なりに生きているのです。結局。彼女も男たちの欲望に翻弄されるのです。そういう生き方もあるということです。

文庫本398ページの長編です。7章立てでそれぞれに異なるミステリーの仕掛けがあり、読みだすと止められません。真壁兄弟の幼馴染でもある現役刑事が殺されたりもします。興味はつきません。しかし、本筋はやはり修一、啓二、久子の愛の物語です。

一気読みも残りページが少なくなると気になります。修一と久子はどうなる? 啓二の魂はどうなるのか?

「俺、修兄ィも久子も大大好きだよ」

故・啓二はその言葉を残して消えます。内耳の奥で耳骨をつんつんと突いてくる声は戻ってきませんでした。

行くな、啓二、啓二、啓二!  本当に消えてしまったのです。

真壁修一は振り向いた。自分の影が歩道に落ちていた。一人だけの影です。影は濃さを増しながらどこまでもついてきた。(了)

え、えっ、終わり? 了です。修一と久子がどうなるかは書かれていません。突然、幕を引かれます。印象的といえば、たしかに、そうです。

小説『影踏み』は謎残し(了)。読者の想像におまかせが愉快。

う~ん、個人的な想像です。

ノビカベ、修一は自首し、これまで完黙してきた“仕事”を洗いざらい告白し、長期刑罰で刑務所に送られます。久子は・・・待ち続けます。

出所の日、曇っていた空が割れ、青空が広がります。久子が出迎えます。憎しみで生きてきた修一は久子の愛に抱擁され表社会に戻ってきます。う~ん、甘い? いやいや酸いも甘いもなくては生きておれませんよ、ね。笑ってください。笑いもあってこその生きるです。終わり。

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